
展示室
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭横にある展示室。出土品をぜひとも自分の目で見てみたいという人はここへ。ここでは、稲穂を摘む石包丁、食料貯蔵用の素焼きの土器などの日常使われていた道具から、位の高い人が葬られた墳丘墓から出土した管玉[くだたま]などのアクセサリー類まで展示品は100点以上。実際に出土したものや復元された模型などが展示されている。
- 「吉野ケ里公園駅」から徒歩21分/「神埼駅」から徒歩24分
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吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭横にある展示室。出土品をぜひとも自分の目で見てみたいという人はここへ。ここでは、稲穂を摘む石包丁、食料貯蔵用の素焼きの土器などの日常使われていた道具から、位の高い人が葬られた墳丘墓から出土した管玉[くだたま]などのアクセサリー類まで展示品は100点以上。実際に出土したものや復元された模型などが展示されている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン北内郭の内壕と中壕の間に立つこの建物。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上に位置することから二至(夏至・冬至)、二分(春分・秋分)を中心とする季節ごとの祭りの儀式が行われた施設と考えられている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン内にある。二重の城柵(土塁と柵)と壕に囲まれた吉野ケ里で最も重要かつ神聖な場所とされていた所。当時の支配者層が祭祀儀礼や政治を行っていたと考えられている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン北内郭にあるクニの祭事や政治の中枢であった所。高さ16.5m、床高4.5mの弥生時代最大級の3階建ての建物。2階は、ムラの長や支配者たちが重要な事柄を話し合う集会場、3階は最高司祭者が神(祖先の霊)の声を聞いて、その結果を支配者たちに伝える儀式が執り行われていたと考えられている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン内にある。支配者層が住んでいた場所と考えられ、4棟の物見櫓と10棟の竪穴住居が復元されている。実際にはそれ以上の建物があったと考えられている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭にある竪穴住居。吉野ケ里遺跡で復元されているのは、2本の柱のみで支える弥生時代後期のもの。住居内は、長方形の形。床面を1~1.5mほど掘り下げて土を周囲に盛り、水の浸入を防ぐなど、環境に対応する工夫がなされている。室内の両側には、寝場所だったとされる、ベット状遺構とよばれる段も残っている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン北内郭にある櫓。四方にある物見櫓は、南内郭と同じように、外敵の侵入を見張る役割があったと考えられている。南内郭の、物見櫓との構造の違いを比べるのも興味深い。
佐賀藩の支藩、鹿島藩2万石の居城跡。築城は文化4年(1807)で、現在、城門(赤門および大手門)が残りともに県重要文化財に指定されている。このほか、石垣や掘が当時の面影を伝えている。城跡一体は旭ケ岡公園として整備されている。
江戸時代から長崎街道の宿場町として栄えた肥前浜宿。酒造りが盛んで、古い酒蔵が立ち並ぶほか、白壁や茅葺の民家など、歴史的な建物を保存。古き良き時代の雰囲気を今に伝える。
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