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石垣島南部の眼下に宮良湾を望む丘陵にある国指定史跡となっている遺跡である。約12haの敷地内には、中世の防御性を持った屋敷囲いの石垣をはじめ、近世の古墓や御嶽跡などが点在する。現在は発掘調査と石積みの復元など、整備が進められており、13世紀前半から16世紀初頭の土器や陶磁器などが出土している。
文政2年(1819)、宮良間切の頭職だった宮良親雲上當演[ぺーちんとうえん]が、琉球の伝統的な建築様式にのっとり造らせた館。世界大戦で沖縄本島の士族家屋はことごとく焼失したが、石垣島は戦火を免れた。そのため、当時の士族の邸宅を知る資料として、国の重要文化財に指定されている。母屋の右奥にある庭園は首里の名造園師、城間親雲上[ぐすくまぺーちん]が設計監督したもので、国の名勝に指定されている。
桃林寺に隣接して立つ。慶長19年(1614)創建。明和8年(1771)の明和大津波で流潰したが、天明6年(1786)に再建された。国の重要文化財に指定されている。石垣を巡らした境内には表門、拝殿、神殿が一直線上に配置されている。
北緯24度の石垣島には、国立天文台の観測研究施設の一つである石垣島天文台があり、一般公開を行っている。土・日曜、祝日の夜に行われる、九州・沖縄で最大のむりかぶし望遠鏡を使った天体観望会(要電話予約)は好評だ。
石垣島の南西に位置する観音崎に立つ、極彩色の中国風屋根飾りが目を引く墓。西欧諸国が、中国からいわゆる労働者として多くの苦力[くーりー]を自国に送っていた産業革命時代、福建省出身の苦力たちは船旅の途中、船員たちからひどい虐待を受け船内で暴動を起こしたため、石垣島に強制下船させられた。彼らはその後派遣された英国軍により、殺害されたり捕虜となった。石垣の人々は熱心に彼らを助けようとしたが、疫病の流行もあり彼らの多くは命を落としてしまう。異国で果てた彼らを慰めようと作ったのが、唐人墓の始まり。現在の唐人墓は昭和46年(1971)、周辺にいくつもあった唐人墓の遺骨をまとめて作られたもの。
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