大隈重信記念館・大隈重信旧宅
大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
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大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
天明9年(1789)に築造された吉村家は、現存する木造平屋建て茅葺き寄棟造りの民家のなかでも県下最古のもの。東側に土間、西側に5室ある典型的な直家形式の農家だ。
幕末佐賀藩の洋式海軍の拠点であり、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。海軍の訓練や、洋式船の修理、日本初の実用蒸気船「凌風丸」の建造などを行った。発掘されたドライドックは、現存する日本最古のもの。遺構は保存のため地下に埋め戻されており、直接みることはできないが、隣接する佐野常民記念館で貸し出しているVR機器を使えば、当時をイメージしたCG画像を見ながら、現地散策を楽しむことができる。
名君とうたわれた十代藩主・鍋島直正[なべしまなおまさ]公、十一代藩主・鍋島直大[なべしまなおひろ]公を祀る神社。直正公は日本初の洋式反射炉を設け近代大砲を造ったり、西洋医術の普及に努めるなど、いち早く西洋文明導入に取り組んだ人物。境内にはカノン砲や蒸気機関車の復元などが見られる。
昭和5年(1930)築の農家住宅を移築・復元したもので、屋根は寄棟[よせむね]造の茅葺きと瓦葺き。すべてほぞ栓で組み立てられた柱や梁は見ごたえがある。現在は地元と都会の人たちの交流や会議に利用。宿泊もできる。
鍋島三十六万石の拠点だった佐賀城は、周囲に幅70mもの堀を巡らし、5層の天守閣を誇る名城とされた城。平地に築かれた典型的な平城で、明治7年(1874)の佐賀の乱(佐賀戦争)で戦禍にあい、建物の一部を焼失し、残った建物の多くは随時解体されていった。現在は、城跡の一部が佐賀県史跡に指定され、堀と本丸跡周辺は佐賀城公園としても整備されている。本丸跡には、天保9年(1838)に完成した国指定重要文化財「佐賀城鯱の門及び続櫓[つづきやぐら]」が残り、また、佐賀城本丸御殿の一部を再現した佐賀城本丸歴史館がある。
江戸中期の寛政年間に佐賀藩の命を受け、初代森永十助が煙草[たばこ]の製造を始めたと伝えられている。明治期には、森永作平によって製造された煙草「富士の煙」が、当時東京で人気だった「天狗」より香りがよいと評判を呼び、佐賀の名物のひとつに。煙草専売化に伴い呉服店へと転じ、昭和9年(1934)まで呉服店を営んでいた。現在は、「森永呉服店」の看板が残る北蔵には和紅茶専門店、居宅には鍋島緞通手織工房、南蔵には手仕事の工芸品店の3つの個性的な店が、建物の風情を活かして営業している。
「佐賀市歴史民俗館」とは、旧長崎街道に点在している江戸~大正の7つの歴史的建造物の総称。洋風建築の「旧古賀銀行」、明治期上流階級の邸宅「旧古賀家」、明治期に米相場取引を主としていた「旧三省銀行」、佐賀城下に残る最古の町屋建築「旧牛島家」、大正期の近代和風住宅「旧福田家」、県下有数の大きな履物問屋「旧久富家」、煙草製造から呉服店へ転じた「旧森永家」の7館で、内部が無料公開されているほか、コンサートや展示会などのイベント会場としても利用されている。
履物商を営んでいた初代久富亀一が、大正10年(1921)に建てた「履物問屋 久富商店」。建物裏に作業所があり、ここで下駄の製造が行われた。後に、大分県日田市や朝鮮半島へ販路を広げて事業を拡大し、県下でも有数の大きな履物問屋となった。館内に掲げてある木製の看板には、右から左に「履物問屋」と横書きされおり当時を偲ばせる。現在は、建物内をリノベーションして、カフェや写真館、組紐店、ミニギャラリー、ステンドグラス工房などが営業。町歩きが楽しめるレンタル着物店が人気だ。
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