
大仙公園
百舌鳥古墳群の中央に位置する公園。園内にも古墳が点在し、博物館・日本庭園・中央図書館・都市緑化センターなどの施設がある。
- 「百舌鳥駅」から徒歩11分/「上野芝駅」から徒歩17分
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百舌鳥古墳群の中央に位置する公園。園内にも古墳が点在し、博物館・日本庭園・中央図書館・都市緑化センターなどの施設がある。
百舌鳥古墳群のほぼ中央、仁徳天皇陵古墳南東に位置する古墳。墳丘長約203m、後円部の径113m、高さ18.3m、前方部の幅136m、高さ17.8mの前方後円墳で、古墳群中4番目の大きさ。築造は5世紀前半。墳丘は3段築成で1段目からは円筒埴輪が、南側のくびれ部の造出しからは須恵器や囲形埴輪などが出土。周囲には盾形の濠と堤がめぐり、陪塚は万代山古墳のみが現存。被葬者や主体部の構造などは不明だが、第15代応神天皇被葬地の伝承もあり、宮内庁に陵墓参考地に指定され管理されている。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は国の史跡に指定されている内濠に沿った周遊歩道から。
百舌鳥古墳群南部、仁徳天皇陵古墳の南にある前方後円墳。墳丘長365m、後円部の径205 m、高さ約27.6m、前方部の幅約235m、高さ約25.3mの日本で3番目に大きい古墳で、「石津ヶ丘古墳」、「百舌鳥陵山古墳」とも呼ばれる。仁徳天皇の第一皇子・履中天皇の陵墓「百舌鳥耳原南陵」として宮内庁が管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産にも登録。築造は5世紀前半。現在は一重の周濠内に3段築成の墳丘があり、かつては周囲に10基の陪塚を持っていたが、現在は寺山南山古墳、七観音古墳など3基が残っている。見学は南側の拝所のほか、東側の濠沿いの周遊路や北側の展望スポット、大仙公園平成の森の展望台もおすすめ。
百舌鳥古墳群ほぼ中央に位置する古墳。濠を巡らせた3段築成の墳丘の全長は約146m、後円部の径約90m、高さ約12.2m、前方部の幅約99m、高さ約11.4mの前方後円墳で、群中8番目の大きさ。築造は5世紀前半。昭和30年(1955)に住宅造成で破壊寸前のところを市民運動によって保存。全国の文化財保護運動の先駆けとなった古墳でもあり、この時に採集された冑形埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっている。住宅造成用の橋は南側の濠中に残っている。見学は南側の道路か、北側のいたすけ公園から。国指定史跡で、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。
大仙公園内の堺市博物館横に昭和55年(1980)の博物館開館に合わせて移築し、国の登録有形文化財になった堺市茶室「伸庵」と「黄梅庵」。伸庵では立礼席(椅子席)で抹茶一服500円(干菓子付き)が味わえる。
茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の始祖であり、堺で生まれ、わび茶を大成した千利休。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野大茶の湯を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るったが、晩年秀吉の怒りにふれ自刃。屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形がある。
百舌鳥古墳群南東端にある大型前方後円墳。盾形周濠内の墳丘は全長約300m、後円部の径約170m、高さ約24.6m、前方部の幅約246m、高さ約25.9mで全国7番目の大きさ。3段築成の墳丘のくびれ部両側に造出しがあり、前方部が大きく広がり、安定感が感じられる形は古墳群中最も美しいといわれる。築造は5世紀後半。主体部の構造や副葬品は不明だが、宮内庁が反正天皇陵の伝承もあり、「東百舌鳥陵墓参考地」に指定し管理している。前方部側の御陵山公園と濠沿いの周遊路から見学でき、公園の北端はフォトスポット。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つで、内濠は国指定史跡。
仁徳天皇陵古墳の北西、50mほど離れた位置にある前方後円墳。前方部を南に向け、盾型の周濠に囲まれた墳丘の全長は100m、後円部の径63m、高さ10.3m、前方部の幅68.5m、高さ10.3m。3段に築かれた墳丘には葺石と埴輪があり、西側のくびれ部には造出しがある。築造は5世紀前半。主体部の構造や副葬品などは不明だが、百済の王仁の墓との伝承もある。墳丘は宮内庁が仁徳天皇陵の陪塚として管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。周濠は堺市指定史跡でもある。
仁徳天皇陵古墳の後円部に近くに築かれた帆立貝形前方後円墳。濠に囲まれた墳丘は全長約87m、2段築成の後円部の径約60m、高さ約9.8m、前方部の幅約40m、高さ約2.7m。昭和30年(1955)の開墾によって前方部が削られているが、帆立貝形前方後円墳としては百舌鳥古墳群で最大。埋葬部分の構造や副葬品などは不明だが、出土した円筒埴輪からみて築造は5世紀中頃。仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられており、後円部は宮内庁が、前方部と濠は堺市が管理している。国指定史跡であり、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は周囲の道路から。
近代を代表する歌人与謝野晶子は、明治11年(1878)12月7日に和菓子商「駿河屋」の三女として生まれた。少女時代に生家の帳場で、店番の合間に古典文学を読みふけり、文学に目覚め、その才能を開花させることとなった。生家跡には、上京した晶子が「ふるさと・堺」を想い詠んだ歌碑が建立されている。「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」。さかい利晶の杜内の「与謝野晶子記念館」には、当時の駿河屋の姿が再現されている。
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