
大仙公園
百舌鳥古墳群の中央に位置する公園。園内にも古墳が点在し、博物館・日本庭園・中央図書館・都市緑化センターなどの施設がある。
- 「百舌鳥駅」から徒歩11分/「上野芝駅」から徒歩17分
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百舌鳥古墳群の中央に位置する公園。園内にも古墳が点在し、博物館・日本庭園・中央図書館・都市緑化センターなどの施設がある。
茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の始祖であり、堺で生まれ、わび茶を大成した千利休。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野大茶の湯を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るったが、晩年秀吉の怒りにふれ自刃。屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形がある。
仁徳天皇陵古墳の北西、50mほど離れた位置にある前方後円墳。前方部を南に向け、盾型の周濠に囲まれた墳丘の全長は100m、後円部の径63m、高さ10.3m、前方部の幅68.5m、高さ10.3m。3段に築かれた墳丘には葺石と埴輪があり、西側のくびれ部には造出しがある。築造は5世紀前半。主体部の構造や副葬品などは不明だが、百済の王仁の墓との伝承もある。墳丘は宮内庁が仁徳天皇陵の陪塚として管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。周濠は堺市指定史跡でもある。
百舌鳥古墳群ほぼ中央に位置する古墳。濠を巡らせた3段築成の墳丘の全長は約146m、後円部の径約90m、高さ約12.2m、前方部の幅約99m、高さ約11.4mの前方後円墳で、群中8番目の大きさ。築造は5世紀前半。昭和30年(1955)に住宅造成で破壊寸前のところを市民運動によって保存。全国の文化財保護運動の先駆けとなった古墳でもあり、この時に採集された冑形埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっている。住宅造成用の橋は南側の濠中に残っている。見学は南側の道路か、北側のいたすけ公園から。国指定史跡で、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。
百舌鳥古墳群南東端にある大型前方後円墳。盾形周濠内の墳丘は全長約300m、後円部の径約170m、高さ約24.6m、前方部の幅約246m、高さ約25.9mで全国7番目の大きさ。3段築成の墳丘のくびれ部両側に造出しがあり、前方部が大きく広がり、安定感が感じられる形は古墳群中最も美しいといわれる。築造は5世紀後半。主体部の構造や副葬品は不明だが、宮内庁が反正天皇陵の伝承もあり、「東百舌鳥陵墓参考地」に指定し管理している。前方部側の御陵山公園と濠沿いの周遊路から見学でき、公園の北端はフォトスポット。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つで、内濠は国指定史跡。
仁徳天皇陵古墳の北方、百舌鳥古墳群の北端にある前方後円墳。墳丘の長さ148m、後円部の径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさ。築造は5世紀中頃。仁徳天皇の第三皇子であり、第18代天皇・反正天皇の「百舌鳥耳原北陵」として宮内庁が管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つでもある。二重だった濠は、現在、一重の盾型周濠になっており、3段に築かれた墳丘からは埴輪が出土。陪塚とされる古墳は鈴山古墳と天王古墳の2基。古墳南側に拝所があり、北側の方違神社境内からは後円部を間近に見ることができる。
堺旧港の南波止場に明治10年(1877)に建造された白亜の灯台。高さ約12mの六角錐形の木造洋式灯台で、木造洋式灯台としては国内屈指の古い灯台。江戸中期に造られた和式の灯台から7期目となる灯台で、堺市民の寄付などにより、イギリス人技師のビグルストーンが設計、岡山の石工・継国真吉が石積みの土台を、堺の大工・大眉佐太郎が建築工事を施工した。周辺の埋め立てが進み、昭和43年(1968)にその役割を終えたが、現在は国の史跡に指定され、堺市のシンボルの一つとして、夕日のスポットとして親しまれている。
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」に登録された百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つ。5世紀中期の築造で、三重の濠に囲まれた墳丘は長さ486m、後円部の径249m、高さ35.8m、前方部の幅307m、高さ34m、陵域が約46万4000平方mの日本最大の前方後円墳。クフ王ピラミッド、秦始皇帝陵とともに世界三大墓といわれる。実際の被葬者は不明だが、宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓「百舌鳥耳原中陵[もずのみみはらのなかのみささぎ]」として管理。前方部には長持形石棺が置かれた竪穴式石室があり、墳丘や堤には3万本近い円筒や馬形の埴輪が立っていたと推定される。周囲には永山古墳や丸保山古墳などの陪塚(陪冢[ばいちょう])が10基ほど点在する。見学は南側の拝所か、約2.8kmの周遊道路から。
仁徳天皇陵古墳の後円部に近くに築かれた帆立貝形前方後円墳。濠に囲まれた墳丘は全長約87m、2段築成の後円部の径約60m、高さ約9.8m、前方部の幅約40m、高さ約2.7m。昭和30年(1955)の開墾によって前方部が削られているが、帆立貝形前方後円墳としては百舌鳥古墳群で最大。埋葬部分の構造や副葬品などは不明だが、出土した円筒埴輪からみて築造は5世紀中頃。仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられており、後円部は宮内庁が、前方部と濠は堺市が管理している。国指定史跡であり、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は周囲の道路から。
百舌鳥古墳群のほぼ中央、仁徳天皇陵古墳南東に位置する古墳。墳丘長約203m、後円部の径113m、高さ18.3m、前方部の幅136m、高さ17.8mの前方後円墳で、古墳群中4番目の大きさ。築造は5世紀前半。墳丘は3段築成で1段目からは円筒埴輪が、南側のくびれ部の造出しからは須恵器や囲形埴輪などが出土。周囲には盾形の濠と堤がめぐり、陪塚は万代山古墳のみが現存。被葬者や主体部の構造などは不明だが、第15代応神天皇被葬地の伝承もあり、宮内庁に陵墓参考地に指定され管理されている。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は国の史跡に指定されている内濠に沿った周遊歩道から。
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