
ししとき川
密集する家々の間を細く流れる川で、1600年代に火事対策にと人工的に作られたもの。川底には平たい石が敷かれ、技術の高さもわかる川になっている。
- 「思案橋駅」から徒歩5分/「めがね橋駅」から徒歩6分
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密集する家々の間を細く流れる川で、1600年代に火事対策にと人工的に作られたもの。川底には平たい石が敷かれ、技術の高さもわかる川になっている。
遊女屋「中の筑後屋」にあった庭園が残り、遊女「冨菊」が奉納した手水鉢がある。建物ではカッパ絵で有名な長崎市出身の清水崑の作品を展示。
元禄13年(1700)創建。名前の由来は創建者が何者かに襲われたが本人は無傷で代わりに自邸のほこらの天神様が傷を負っていたという話からきている。現在では15本の梅の木が1月下旬に見頃を迎える。また、小説『長崎ぶらぶら節』の舞台にもなった場所として「長崎ぶらぶら節」の文学碑も建てられている。2月の節分祭は大勢の人で賑わう。
丸山公園のそばに立つ1本の柳。花街からの帰り道、遊女への未練からか男たちの振り返る姿が多く見られたために名付けられたという。
遊郭の丸山入口に設けられた門前橋。当時はここに川が流れ、多くの男性が丸山へ行こうか戻ろうか、と思案したことからこの名が付いた。昭和30年代に道路拡張のため橋は消滅したが、それを惜しんで橋の欄干を模した建造物が立つ。
慶応3年(1867)イギリス人水夫2人が殺された事件。海援隊士の仕業と疑われ、龍馬は取り調べに同席。犯人は福岡藩士・金子才吉と判明し、事件は解決した。※石碑や標示板などは特になし。
作家・なかにし礼著『長崎ぶらぶら節』でも紹介された唄で“遊びに行くなら花月か中の茶屋。梅園裏門たたいて…”と登場する。道沿いには明治時代築の貴重な木造建造物が点在し、風情ある石畳が続く。
「けんか凧」で有名な風頭公園そばにあり、凧あげの際に使うハタを製造・販売する店。店内2階にある長崎凧資料館(入館無料、9~17時、無休)では各種のハタに関する資料を展示するほか、店主の小川暁博の作業場もあり、竹の骨組みに赤・青・白の和紙を貼り合わせて作る作業工程が見学できる。凧製作と凧あげの体験教室は1800円~(予約制)。一銭凧300円~。
江戸時代後期に荻野流砲術および西洋砲術の研究をした、町年寄・高島秋帆の邸宅跡(史跡)。文化3年(1806)、秋帆の父が別邸として建てたもので、別名雨声楼[うせいろう]ともよばれていた。国の史跡指定後、原爆に遭って大破。現在は石垣や塀がかつての名残りをとどめている。
慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
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