
三光寺
明治11年(1878)、紀尾井町事件の首謀者たちが本拠地の1つとした寺。現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことができる。繊細で可憐な音色だ。
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明治11年(1878)、紀尾井町事件の首謀者たちが本拠地の1つとした寺。現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことができる。繊細で可憐な音色だ。
天正13年(1585)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、寛永20年(1643)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている。拝観はガイド付きで予約が必要。幼児、未就学児は保護者同伴でも拝観不可。
慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛により建立。本堂には、病気平癒や開運にご利益のある開運霊薬不動尊。子どもに関する願い事を叶える幸福地蔵の他、加賀友禅作家の木村雨山の作品、能面が数多く展示。境内の幸福の道には、十二支像が安置されている。時計回りに2周回り、3周目に自分の干支の前へ行き、合掌してお願い事を1つだけし、最後に、白不動の前で合掌すると願いが叶うといわれる。9月のお彼岸の時期には、白い彼岸花(曼珠沙華)が約1万本の花を咲かせる。
御祭神は、天照皇大神、豊受姫神。金沢の左義長の元祖。5・10月15~17日春秋祭礼「あぶりもち神事」は300年以上続く、悪事災難厄除伝統特殊神事。祭礼名物「あぶり餅」は、食べる御守と飾る御守(家守)の2種類。樹齢約1000年の御神木の大ケヤキは、金沢屈指のパワースポット。傍らに、「願かけ願い石」も。詩人・中原中也が子供の頃、境内で見た軽業興業(現在のサーカス)を基に、詩「サーカス」を作ったと云われる。御神木大ケヤキの樹皮入り「千年樹守」、「たらよう願い」、「花みくじ願い」等、常時約100種類の御守り等を頒布している。
大正11年(1922)、芸妓の稽古場や事務所として建てられた瓦葺の建物。平成15年(2003)7月1日に国登録有形文化財に指定された。寄棟造り、下見板張りの洋風建築は、大正ロマンを偲ばせる。
広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちにあった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
金沢出身の文豪、室生犀星生誕の地で、その作品とその人となりを紹介。直筆原稿、遺品を展示し、犀星作詞の校歌や犀星本人による詩の朗読を聴くことができる。犀星の詩を選んで印刷する絵葉書制作100円もおすすめ。
金沢三茶屋街のひとつ。ひがし茶屋街と同じく文政3年(1820)に設立された。出格子が美しい茶屋建築の街並みが残り、金沢芸妓の伝統を今に伝えている。大正時代のベストセラー作家である島田清次郎ゆかりの地。今も木造のお茶屋と、大正11年(1922)に建てられた検番が当時を偲ばせる。夕方になると軒下に灯りがともり、独特の風情を醸しだしている。
明治3年(1870)創業の九谷焼の窯元。ろくろ・素焼・施釉・本焼・上絵付けに至るまで、一貫して手作業で制作。弊窯謹製の九谷焼を販売している。また、絵付体験(1650~5500円)、ろくろ体験(5500円)、工房見学(1グループ11000円)なども承っている。
かつて金沢城二の丸にあった能舞台・舞楽殿がある。明治3年(1870)、幕末の戦乱で戦死した加賀藩士たちを祭る社殿として卯辰山に移築後、中村神社の拝殿になった。漆黒の格子天井や緻密な細工の欄間に当時の金沢城の雅がうかがえる。
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