
緑の島
函館港の整備の際に、海底からすくい取られた土砂を利用して造られた人工島。函館港やベイエリア、函館山、元町地区などの風景を楽しむことができる。芝生の広場や駐車場などの島内の整備も完了し、主に市民や観光客の憩いの場として、またイベント会場として利用されている。
- 「大町(北海道)駅」から徒歩7分/「末広町(函館)駅」から徒歩8分
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函館港の整備の際に、海底からすくい取られた土砂を利用して造られた人工島。函館港やベイエリア、函館山、元町地区などの風景を楽しむことができる。芝生の広場や駐車場などの島内の整備も完了し、主に市民や観光客の憩いの場として、またイベント会場として利用されている。
函館市でもっとも古いといわれる、江戸初期に創設された寺院。総けやき造りで、立派な彫刻が施される山門が建つほか、北海道指定有形文化財の「釈迦涅槃図」を所有する。
函館港を見下ろす元町公園内にある、明治42年(1909)建築の木造洋風の2階建ての建物。正面中央の三角形の切妻破風を持つ屋根を、柱頭飾りのあるコリント式の4本の柱が支える姿が印象的で、道指定有形文化財になっている。現在は「ジョリジェリ」の愛称で親しまれるカジュアルレストラン「Jolly Jellyfish 元町公園店」として活用している。テイクアウト形式の店なので、人気のビーフステーキピラフを購入して、函館の古写真が展示された館内のイートインスペースや公園内で食べるのがおすすめ。
函館山の麓、元町公園や旧イギリス領事館のすぐそばにある芝生の広場。安政元年(1854)に函館に来航したアメリカのマシュー・ペリー提督の函館来航150周年を記念して、旧市立函館病院跡地にペリー提督来航記念碑が建立され、「ペリー広場」の愛称が付けられた。広場の高台に立つ記念碑は、函館港を見下ろすように悠然と立つペリー提督の銅像が印象的だ。ちなみに、ペリーは函館を「天然の良港」と賞賛した。
北海道と関係の深いアイヌ民族を中心に、北方民族の暮らしや文化について紹介している。市立函館博物館旧蔵資料をはじめ、函館が生んだ考古学・民俗学の権威である馬場脩氏や児玉作左衛門氏が収集した資料を展示。伝統的な文様の刺繍や彫刻を施した衣装や生活用具、大陸との交易を示す山丹服(蝦夷錦)、アリュートの皮舟「バイダルカ」など、見応えある展示内容だ。大正15年(1926)に建てられた、旧日本銀行函館支店の建物を利用している。
明治43年(1910)、豪商・相馬哲平からの5万円の寄附を元に建築。当時皇太子だった大正天皇をはじめ、皇室の行啓の際にも使用された由緒ある木造2階建ての建物で、国指定重要文化財。青灰色の外壁と黄色の窓枠のコントラストが美しいコロニアルスタイルに、正面入口の唐草模様など、和と洋が調和した造りが随所に見られる。館内は、1階にカフェとして営業する大食堂や球戯室など、2階に御座所、大広間、御湯殿などがあり、当時の調度品が展示されていて興味深い。明治時代のドレスや着物で記念撮影ができる函館ハイカラ衣裳館は予約不要。
函館市電の終点・函館どつく前電停そばの函館厳島神社から外国人墓地へと延びる坂。昔、坂の上から魚群を探したことが名前の由来といわれている。江戸時代後期に弁天台場を建造した際、採掘した土砂を盛ってできた台町にあったことから、「台町の坂」と呼ばれていたことも。坂の上部の寺町通には、箱館戦争にまつわる江戸初期創建の高龍寺や称名寺などがあり、その先の外国人墓地からは函館港や天気が良ければ駒ヶ岳まで見渡せる。
港の旧桟橋から元町の中心部を割って船魂神社までまっすぐ伸びる細い坂。坂上からは函館湾が一望でき、空模様を見られることからこの名が付いた。坂上の船魂神社は、保延元年(1135)からの歴史と義経伝説が残る。
函館で高校時代を過ごした、日本の歌謡界の大御所・北島三郎の栄光までの半生を伝える体験型記念館。等身大のブロンズ像との記念撮影が人気。名曲「まつり」の迫力あるステージもリアルに再現されている。
江戸時代に松前藩が、この地に船舶・貨物への徴税を行うために番所を設けたことが始まり。安政元年(1854)、函館港へ来航したペリーが上陸した場所でもあり、「はこだて開港ペリーロード」の出発地になっている。大正15年(1926)には函館水上警察署が建てられ、平成19年(2007)4月に函館市臨海研究所として再整備された現在は、水産・海洋関連の研究施設となっている。
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