
秋宮神楽殿
諏訪大社下社秋宮にある。天保6年(1835)、諏訪の名匠、二代立川和四郎富昌[たてかわわしろうとみまさ]によって造営された。巨大なしめ縄がかかり荘厳な雰囲気を漂わせる。
- 「下諏訪駅」から徒歩11分
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諏訪大社下社秋宮にある。天保6年(1835)、諏訪の名匠、二代立川和四郎富昌[たてかわわしろうとみまさ]によって造営された。巨大なしめ縄がかかり荘厳な雰囲気を漂わせる。
諏訪大社下社秋宮にある。立川和四郎富棟の代表作といわれ、見事な彫刻が施されている。安永10年(1781)に建築されたもの。その両側に左右片拝殿があり、御柱はこれら社殿を囲むように立つ。
諏訪大社下社春宮の大鳥居の前、御手洗川にかかる反り橋。長さ10m・幅3mほどの小さな橋で、桁行四間の銅瓦葺の屋根がかかっている。天正6年(1578)に造営され、現在の橋は元文年間(1736~1740)に修築されたもの。昔は境内に入る前に下馬し、参拝したという。現在でも遷座祭の際は、御霊代[みたましろ]の御輿はここを渡る。
諏訪を支配する諏訪頼重を攻め落とし、頼重の娘を側室として迎えた武田信玄。諏訪には信玄ゆかりのスポットが点在。信玄が中興した慈雲寺もその一つ。700年を悠に超える歴史をもつ臨済宗妙心寺派の名刹で、今も武田菱が寺紋のように使われている。参道の美しい杉並木や、前庭に立つ樹齢450年以上という天桂の松、白砂が美しい石庭など境内のみどころも多い。
下諏訪が中山道の宿場町として栄えていたころ、本陣として栄え、江戸時代には参勤交代の諸大名など身分の高い人を泊めるための旅館として使われていた。1861年(文久元)には皇女和宮[かずのみや]が徳川14代将軍家茂[いえもち]に嫁ぐ途中に宿泊し、その際利用した最奥座敷「玉座の間」が現在も残っている。約2650平方mの敷地には京風の武家屋敷や茶屋、土蔵などが立ち、当時を偲ばせる。また、銘石を配した築庭式石庭園は、中山道随一の名園といわれている。所要30分。
江戸時代に中山道と甲州街道の合流する宿場町として栄えた下諏訪宿の機能や様子、幕末に下諏訪で起きた事件について紹介している。建物は、明治7年(1874)にこの一帯が大火に見舞われた後に建てられたものだが、江戸時代の商家の特徴をよく残している。展示室では、江戸時代の「下諏訪宿」や旅人の様子について、絵図や当時の道具で紹介するほか、幕末に起こった出来事として「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党との合戦「和田嶺合戦」、偽官軍の汚名を着せられた「赤報隊」に関する資料を展示している。
祭神は建御名方神[たけみなかたのかみ]、八坂刀売神[やさかとめのかみ]。旧中仙道宿場町で賑わう秋宮に比べ、静かで落ち着いた雰囲気。春宮と秋宮の間では、毎年2月1日と8月1日に遷座祭が行われる。
明治19年(1886)創業のレトロな雰囲気と、楕円形の浴槽をゆっくり楽しめる。町の中心に位置し、アーケードを行くと昔の銭湯にタイムスリップした気分になる。動脈硬化・切り傷・やけど・慢性皮膚病におすすめ。湯温は約42~3度。下諏訪温泉の中でも「比較的」ぬるめだ。
諏訪大社下社秋宮の鳥居をくぐると正面にそびえる、高さ約35mの杉の大木。樹齢約800年。大社の御神木の一つで、真夜中になると枝を下げて寝入るといわれる。
下諏訪町にある、諏訪大社の小宮の一社。7年に1度の諏訪大社の御柱祭(大祭)と同じ年に、この小宮でも御柱祭が執り行われる。
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