諏訪神社
地元では「お諏訪さま」の愛称で親しまれている長崎の総氏神。大鳥居から続く194段の石段を上れば長崎の街並みが一望できる。広い境内には、カッパのような皿を頭にのせたり、玉に乗ったりなどさまざまな姿をした狛犬が祀られていてユニーク。また国際都市・長崎ならではの英文おみくじも人気がある。
- 「諏訪神社駅」から徒歩6分/「新大工町駅」から徒歩9分
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地元では「お諏訪さま」の愛称で親しまれている長崎の総氏神。大鳥居から続く194段の石段を上れば長崎の街並みが一望できる。広い境内には、カッパのような皿を頭にのせたり、玉に乗ったりなどさまざまな姿をした狛犬が祀られていてユニーク。また国際都市・長崎ならではの英文おみくじも人気がある。
風頭公園内の龍馬の像の隣にある。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の一節を抜粋した文学碑。長崎に込めた龍馬の期待が伝わってくる。
慶応3年(1867)イギリス人水夫2人が殺された事件。海援隊士の仕業と疑われ、龍馬は取り調べに同席。犯人は福岡藩士・金子才吉と判明し、事件は解決した。※石碑や標示板などは特になし。
長崎市街を流れて長崎港へと注ぐ中島川は流路延長約5.8kmの川。かつては大川と呼ばれ、元亀元年(1570)の長崎開港から、ポルトガルとの交易のための出島があった江戸時代には、物資の流通ルートとして使われ、貿易のための水運利用によって街の中心となっていた。明治になっての変流工事や度々の水害などを経て、現在の中島川には、国指定重要文化財の眼鏡橋をはじめ、長崎市指定有形文化財「中島川石造アーチ橋群」の高麗橋、桃渓橋、袋橋など、多くの石橋が架けられ、風光明媚な景観をつくり出している。
中通り商店街は、江戸中期から続く長崎でも最も古くからある商店街。一見普通のお店に見えるところが、実は明治時代から続く老舗ということも。老舗菓子に雑貨、骨董、八百屋、ファッションなど約400m続く通りに約130軒ものお店がひしめきあっている。
若宮稲荷神社そばに移設された資料館。上野彦馬が撮影した幕末の志士たちの写真や、「五箇条の御誓文」の元になったと言われる「新政府綱領八策」の原文写しなどファン垂涎の資料約150点が展示されている。平成30年(2018)3月に改修工事を行い、屋根、床、天井の補修、そして正面玄関廻りの拡張やバリアフリー化など、崩れかけたあばら家が少しきれいになって、出入りしやすくなった。
丸山公園のそばに立つ1本の柳。花街からの帰り道、遊女への未練からか男たちの振り返る姿が多く見られたために名付けられたという。
長崎駅から東方1kmの場所に位置し、展望台や多目的広場、遊戯広場などがある公園。春には約700本のソメイヨシノやヤマザクラの花見が楽しめる。
元禄13年(1700)創建。名前の由来は創建者が何者かに襲われたが本人は無傷で代わりに自邸のほこらの天神様が傷を負っていたという話からきている。現在では15本の梅の木が1月下旬に見頃を迎える。また、小説『長崎ぶらぶら節』の舞台にもなった場所として「長崎ぶらぶら節」の文学碑も建てられている。2月の節分祭は大勢の人で賑わう。
長崎市立桜町小学校敷地内にある、江戸初期の教会遺跡が見られる資料館。サント・ドミンゴ教会は、ドミニコ会のモラーレス神父によって建てられた教会。宣教活動をしていた薩摩からこの地に移転した折に、薩摩の教会堂を解体し移設。禁教令によってモラーレス神父が退去した後、壊された教会堂跡地に長崎代官末次平蔵の代官屋敷が建てられた。平成12年(2000)、小学校校舎建て替え時の発掘調査で、代官屋敷と教会の建物遺構、12万点を越す遺物を発見。現在は、遺構ゾーンや展示室ゾーンなど4つのゾーンで、石組地下室や石畳などの遺構の一部や花十字紋瓦や陶磁器などの出土品を見学できる。
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