
ペーロン温泉
道の駅海の駅あいおい白龍城の施設内にある日帰り温泉施設。相生市の人気キャラクターど根性大根大ちゃんのモニュメントが壁に設置されており、「大ちゃんの湯」の愛称で親しまれている。広い浴室内には、露天風呂、薬湯、全身浴、寝湯、泡沫湯に温泉水が注がれており、サウナ、水風呂もある。露天風呂からは、ペーロン競漕が行われる相生湾が一望できる。
- 「西相生駅」から徒歩17分
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道の駅海の駅あいおい白龍城の施設内にある日帰り温泉施設。相生市の人気キャラクターど根性大根大ちゃんのモニュメントが壁に設置されており、「大ちゃんの湯」の愛称で親しまれている。広い浴室内には、露天風呂、薬湯、全身浴、寝湯、泡沫湯に温泉水が注がれており、サウナ、水風呂もある。露天風呂からは、ペーロン競漕が行われる相生湾が一望できる。
相生港の最奥、国道250号沿いに位置する道の駅であり、国土交通省認定の海の駅も兼務する全国でも珍しい施設。中国伝来の相生の祭「ペーロン祭」が名前の由来で、中国風の華美な建物となっている。毎年冬には相生の特産品である牡蠣を買い求める人で賑わい、地元の牡蠣を使用した加工品も販売されている。敷地内には、ペーロン温泉やレストラン、24時間使用できる駐車場やトイレも完備している。
大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に大正元年(1912)に建立された。義士と萱野三平、浅野家、森家を合祀している。境内の義士宝物殿には、内蔵助が討ち入りに使ったという采配や愛刀の備前長船などが展示されている。また文化勲章受章者・平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]をはじめ、一流彫刻家による四十七士の木像を安置する義士木像奉安殿も見逃せない。
常陸国笠間から入封した浅野長直が13年の歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成。播磨灘に面して築かれた海城(平城)で、天守台はあるが天守閣はない。縄張は、本丸を中心に二之丸が同心円状に囲む輪郭式だが、三之丸が二之丸の北に張り出した変形輪郭式。浅野家断絶後、城は永井家、森家に引き継がれた。明治の廃藩置県後に取り壊されたが、昭和30年(1955)に大手門の一部と大手隅櫓が復元。大手門から入った道筋に大石良雄宅跡があるのは、当時藩邸や家老、藩重臣の屋敷を城内に置いたためだ。
花岳寺の中にある施設。浅野長矩公の位牌と大石家守り本尊・千手観音像を正面に祀り、右側に23人(表門組)と萱野三平の木像を、左側に24人(裏門組)の木像を安置する。いずれも義士33回忌(1735)から作り始められ100回忌に完成、京都の名工の作とされる。すべて赤穂近隣各地からの奉納で、当時を彷彿させるものがある。
主君浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]の刃傷事件を急報するため、江戸から早かごで四昼夜半を駆け抜いた早水藤左衛門[はやみとうざえもん]と萱野三平[かやのさんぺい]が城に入る前、一息ついたという井戸。赤穂では井戸水に海水が混じるため、江戸初期に千種川上流から水を引いて上水道を整備した。この井戸にも上水道が引かれ、人々の暮らしを支えた。日本三大上水道の一つとされる。
復元された本丸門をくぐると、天守台の石垣や大池泉を配した庭園が広がる。建物はないが、発掘調査や古絵図を元にかつての御殿などの間取りが復元表示されている。
江戸時代から廻船業で栄えた港町。国指定記念物の原生林が茂る生島[いきしま]が目の前に見える。旧坂越浦会所から、国道250号方面へ行く道の両脇に古い街並みが残る。造り酒屋・奥藤家[おくとうけ]の堂々たる建物や坂越まち並み館などをゆっくり見学したい。
大石神社境内にある内蔵助の屋敷跡。大石家3代が57年間住んだという。長屋門は城内に残る数少ない江戸時代の建築の一つで、主君の刃傷事件を知らせる萱野三平たちがこの門を叩いた。軒先の丸い鐙[あぶみ]瓦には大石家の定紋・二ツ巴が見える。庭園を含む屋敷跡は国指定史跡に指定。
禅の曹洞宗に属し本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年(1645)に建立された寺であり元禄事変後は、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、義士37回忌にあたる元文4年(1739)に建てられ、遺髪がおさめられていると伝えられる四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財。新西国第31番、瀬戸内観音第7番の霊場である。
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