
トルコ記念館
明治23年(1890)、オスマントルコの特派使節一行を乗せた軍艦エルトゥールル号が帰国の途中、暴風雨のため熊野灘で座礁・沈没。69人が大島の人たちに救出されたが、580余人という多くの犠牲者を出した。この水難事故に際し、島の人たちは死者を弔い、その翌年、樫野崎に遭難碑を造った。碑の近くに建てられたトルコ記念館では、沈没したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などを展示。所要20分。
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明治23年(1890)、オスマントルコの特派使節一行を乗せた軍艦エルトゥールル号が帰国の途中、暴風雨のため熊野灘で座礁・沈没。69人が大島の人たちに救出されたが、580余人という多くの犠牲者を出した。この水難事故に際し、島の人たちは死者を弔い、その翌年、樫野崎に遭難碑を造った。碑の近くに建てられたトルコ記念館では、沈没したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などを展示。所要20分。
日本最古の石造灯台。イギリス人が設計と建設にあたり、明治3年(1870)に初点灯。現在は自動点灯の無人灯台のため、内部は非公開になっている。スイセンの名所としても知られ、12~2月になると花が咲き、周囲はさわやかな香りで包まれる。かつて常駐していたイギリス人技師が植えたものと言われている。
江戸時代の画家、円山応挙と長沢芦雪の美術館。昭和36年(1961)、無量寺境内に建てられた。収蔵作品には、応挙の『波上群仙図』、芦雪の『龍虎図』などがある。応挙、芦雪の障壁画55面が国の重要文化財。
国の名勝・天然記念物「橋杭岩」を眼前に眺望できる道の駅。施設2階には橋杭岩のジオラマや展望デッキも備えている。串本町は全国屈指の漁業の町として栄えていることから、施設内の物産販売施設には南紀の珍味・うつぼ揚煮やマグロの内蔵や胃の加工品、クジラの皮などが揃っている。またテイクアウトで味わえる浜ゆで貝や地元のポンカンを使った名物ポンカンソフトなども人気の一品。
本州最大規模のサンゴ群落が広がる串本の海を楽しく学ぶことができる水族館。串本の多種多様な生き物を約400種、5000匹を解説パネルとともに展示している。展示水槽は自然に近い環境を保ち、生き生きと暮らすサンゴや魚たちを観察することができる。サメやエイ、ウミガメが泳ぎ回る約25mの水中トンネル水槽、30匹以上のウミガメが暮らすウミガメプールがある。子ガメのタッチング体験、ウミガメのエサやり体験を毎日開催している。
船内に入るとそこは海面下。船側に沿って大きな観測窓が並び、串本の海の美しい海中景観を楽しむことができる。船はサンゴの群生ポイントをめぐり、串本を代表するテーブルサンゴや枝サンゴをじっくりと観察することができ、さまざまな生き物たちとの出会いが待っている。悠々と泳ぐウミガメと出会えることも。運航中の船内ではマリンガイドが海のこと、生き物のことを楽しく案内している。
弁天前定置水産直営の天然の釣堀で、定置網に入ったハマチ・イサキ・アジ・マダイなどを放流している。初心者でも楽しく海釣を体験でき、釣った魚は持ち帰れるほか、自宅等への宅配便の手配も可能(送料別途必要)。レストランでは、定置網でとれた新鮮な魚料理をはじめ、夏はアワビ、冬は伊勢エビの期間限定メニューが人気。
黒潮が近くを流れる南紀串本町田原川河口横に広がる白砂の海岸。人が少なくゆったりと楽しめる海水浴場。2024年は串本町管理の監視員が6月29日~8月31日まで常駐するので安心。左前方は港の堤防があるが、紀伊大島が望め、眺めも良好。すぐ裏に「国民宿舎あらふねリゾート」があり、泊りがけで行くのに便利。またこの場所は冬場は海霧スポットとしても有名で、放射冷却が起こるような寒くて風のない日の太陽が昇る時刻には海霧が見られ、写真愛好家に人気の場所。
大島の南側の海岸は、40mもの険しい断崖絶壁が連なる豪快な岩礁地帯。海面から突き出たピラミッド型の巨岩が、太平洋の荒波にもまれる光景は壮観だ。鷹ノ巣展望台からの眺めがよい。名前の由来は、朝鮮半島の名勝金剛山に発する。
虎関[こかん]師錬開山の臨済宗東福寺派の寺。天明6年(1786)、津波で大破していた寺を愚海[ぐかい]和尚が再建した際、友人の画家・円山応挙が再建祝いとして方丈の障壁画を描き、その作品を弟子の長沢芦雪が寺に届けた。芦雪もまた、この寺に滞在している間、多くの襖絵などを描き残したため、無量寺は「芦雪寺」とよばれている。
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