
二上山
奈良と大阪河内[かわち]の境に標高517mの雄岳と、標高474mの雌岳が寄り添うように並ぶ山。古くは「ふたかみやま」と呼ばれ、特に奈良側から眺める二上山に沈む太陽の美しさゆえに、西方浄土の入口として神聖視されてきた。雄岳山頂近くには、天武天皇の皇子で、持統[じとう]天皇から謀反の罪を受け、非業の死を遂げた大津皇子[おおつのみこ]の墓がある。雌岳山頂は公園化されており、ハイキングコースとしても人気。雄岳へは、二上神社口駅、雌岳へは当麻寺駅が便利。
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奈良と大阪河内[かわち]の境に標高517mの雄岳と、標高474mの雌岳が寄り添うように並ぶ山。古くは「ふたかみやま」と呼ばれ、特に奈良側から眺める二上山に沈む太陽の美しさゆえに、西方浄土の入口として神聖視されてきた。雄岳山頂近くには、天武天皇の皇子で、持統[じとう]天皇から謀反の罪を受け、非業の死を遂げた大津皇子[おおつのみこ]の墓がある。雌岳山頂は公園化されており、ハイキングコースとしても人気。雄岳へは、二上神社口駅、雌岳へは当麻寺駅が便利。
當麻寺にあり、浄土宗総本山知恩院の奥院として誓阿普観上人が応安3年(1370)に創建した寺。南北朝の戦乱を避けて、京都から多くの寺宝を移したとされる。金銀の蒔絵を施した倶利伽羅龍[くりからりゅう]蒔絵経箱(国宝)などを蔵している。
當麻の里は、垂仁[すいにん]天皇の時代に日本で初めて出雲の野見宿禰[のみのすくね]と相撲をとった、當麻蹶速[けはや]の出身地と伝えられる。館内には本場所と同じサイズの土俵と桟敷席が設けられ、江戸時代の番付表や明け荷などの資料12000点を展示。土俵には男女ともにあがることができる。また、無料の観光休憩所も併設。所要30分。
12万平方mを超える広大な敷地には、アスレチック遊具を設置した子供広場やツバキ園、芝生広場などがある。園内を縫って人工の川が流れ、桜・ツツジ・シャクナゲ・萩など四季を通じて花が楽しめる。
推古20年(612)、用明天皇第三皇子・麻呂子親王が、兄・聖徳太子の勧めによって河内に創建し、のちに孫の當麻国見が二上山の東麓へ遷造した。当地は役行者最初の練行地とされ、金堂には飛鳥時代後期の弥勒仏坐像(国宝)と四天王(重要文化財)が祀られる。現在の本尊は、曼荼羅堂(国宝)に祀られる當麻曼荼羅(重文)で、奈良時代に中将姫が「称讃浄土経」一千巻の写経を成満した末に感得した極楽浄土の光景が表されている。シンボルの三重塔は、東塔、西塔が創建時のまま一対で揃う。ボタンも名高く、4月中旬~下旬が見ごろ。
當麻寺曼荼羅堂の南西側にある塔頭。本尊の十一面観音立像(重要文化財)は、弘仁時代の作。木造聖観音立像(重要文化財)、千手観音立像(重要文化財)などの寺宝をもつ。春のボタン・石楠花、秋の紅葉など、一年中花が絶えない。池泉回遊式庭園に設けられた水琴窟[すいきんくつ]が珍しい。
二上山の南の竹内峠を越える街道で、『日本書紀』の推古記に「難波より京[みやこ]に至る大道を開く」と記された日本最初の官道。大陸からの使節や遣隋使らが往還し、中世以降は當麻寺や伊勢参りなどの道として賑わった。大和棟の白壁の民家が立ち並ぶ竹内の集落は、かつて宿場町として栄えた所。松尾芭蕉が滞在したこともあり、その句にちなむ綿弓塚[わたゆみづか]が残っている。平成29年(2017)4月、日本遺産に認定。
二上山の麓に位置し、展望台に芝生広場の公園、また四季折々の田園風景が楽しめる。1階には加工施設があり、2階には近隣農家の新鮮野菜、お土産品、花、加工品(味噌、餅、漬物、パン、ケーキ、粉末乾燥野菜等)が所狭しと並んでいる。「ここでしか買えないもの」がコンセプトの加工品が大人気。
當麻寺最古の塔頭で、創建は役行者[えんのぎょうじゃ]とされる。中将姫が剃髪した坊とも伝えられ、中将姫導きの観音という十一面観音を祭る。後西天皇の御幸の間(重要文化財)や茶室(重要文化財)があり、香藕園[こうぐうえん](名勝・史跡)は、石州作の枯淡な美をみせている。150枚もの日本画に飾られた絵天井の下で、仏画を描き写す「写仏」や、中将姫が書写した「称讃浄土経」の「写経」(料金:1500円、筆・用紙付き)も体験できる。
年に数回、二上山の2つの頂の間に夕陽が沈む。古人はこの厳かな光景の向こうに浄土があると信じた。
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