
なにわ熊野神社
梅の木公園の近くに位置する、第十五代応神天皇・第十六代仁徳天皇の時代にはすでに梅の名所といわれていたという古社。祭神は伊奘冊尊。尼崎の伝説「なにわの梅」の神社であると伝わり、境内には「傳史蹟 難波の梅」の碑も立つ。熊野三山を参詣する熊野詣の通り道に建立された熊野神社のうちの第一社で、熊野詣の休所として多くの人々が立ち寄った。境内には24種、68本の梅が植えられており、2月下旬から3月上旬に開花する。
- 「出屋敷駅」から徒歩19分/「尼崎(阪神)駅」から徒歩22分
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梅の木公園の近くに位置する、第十五代応神天皇・第十六代仁徳天皇の時代にはすでに梅の名所といわれていたという古社。祭神は伊奘冊尊。尼崎の伝説「なにわの梅」の神社であると伝わり、境内には「傳史蹟 難波の梅」の碑も立つ。熊野三山を参詣する熊野詣の通り道に建立された熊野神社のうちの第一社で、熊野詣の休所として多くの人々が立ち寄った。境内には24種、68本の梅が植えられており、2月下旬から3月上旬に開花する。
醍醐天皇時代以前の創建であると伝承されている。17mの大鳥居がそびえ立つ尼崎では「尼のえべっさん」の愛称で親しまれており、商売繁盛、一家の繁栄を見守る神様だ。
尼崎センタープール前駅と出屋敷駅の中程に位置する蓬川は、春にはおよそ1000本の桜が咲き誇る花見の名所として知られる。両岸が桜のトンネルのようになり、毎年大勢の花見客で賑わう。また、整備された歩道や広場がある川沿いの蓬川緑地には、梅林やバラ園もあり、四季を通じて散策を楽しめる。また、隣接する蓬川公園には、路面電車71形74号も保存されている。
国道43号と国道171号の間の武庫川沿いには、約2000本のソメイヨシノと八重桜が咲き、堤防に桜のトンネルができる。特に阪神武庫川駅北側と西武庫公園周辺は、本数が多く見応えあり。堤防の横には芝生広場もある。
祭神として嵯峨源氏の祖である源融公を祀る。京都六条の河原院の邸宅には、陸奥国塩釜の風景を模して庭園をつくり、この地より毎日20石の潮水を運び、塩を焼かせたと伝えられている。
阪神尼崎駅西側に広がる地区。元和3年(1617)、戸田氏鉄公[とだうじかねこう]が尼崎で築城を命ざれた際に、周辺にあった寺院が集められてできた町。寺町一帯は、空襲の被害が少なく、奇跡的に残っており、約3万9000平方mの甲子園球場とほぼ同じ広さに11の寺院がある。東端の全昌寺は、尼崎藩戸田氏鉄の菩提寺。隣が法華宗本門流大本山の本興寺。境内の興隆学林専門学校は開祖日隆聖人が開いた勧学院に始まる。門も四脚門という格の高い形式で、本堂も寺町で一番大きい。国重文の開山堂は入母屋造の建物に増改築を加え、複雑な構造になっている。
淀川の分流である神崎川に形成された三角州から発展した尼崎は、古くから海開の要衝であった。大物主神社は、水路を往来する人々の守護神であったといわれており、鎌倉時代初期に源義経主従が京から家臣の弁慶らとともにこの地へ逃れ、大物浦からの船出を控えた源義経が身を潜めていたと伝えられている。
塔と金堂が東西に並び、北側には講堂を配した「法隆寺式」伽藍配置の白鳳時代の寺院跡。織田信長勢による荒木村重の居城「有岡城」攻略の際に焼失したのではないかとされる。昭和27年(1952)と33年(1958)の発掘調査で、川原寺式の軒瓦や鬼瓦なども見つかった。現在は大正年間に塔跡から運び出された塔心礎のみが残る。
JR塚口駅西側にある上坂部西公園は、四季折々の花や芝生、池や温室もある市民憩いの公園で、週末にはピクニックをする家族も多い。この公園では毎年春に「花と緑のフェスティバル」が開催され、チューリップが満開の園内では、鉢植えの花などを販売するコーナーや子ども向けの「手作りおもちゃ」「草木あそび」コーナーなど設置され、近隣住民で賑わう。
連絡橋で結ばれた東西2つのエリアから成る、大気汚染対策の緑地として整備された公園。約3万7000平方mの園内には、常緑樹のヤマモモ、落葉樹のユリノキやイチョウ、ヒマラヤザクラなど、大気浄化能力や汚染耐性が高い木々が植栽されて緑豊か。東のエリアにはロングスライダーや木製大型遊具「わんぱくとりで」を設置。西のエリアには、水遊びにぴったりのユニークな噴水などが揃うわんぱく池や、ハスやスイレンが咲くもみじ池を巡って遊歩道があり、散策に最適。昆虫や野鳥を観察するスポットとしても人気の公園だ。
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