
函館市青函連絡船記念館摩周丸
昭和63年(1988)の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を、産業遺産として保存・展示。当時のまま残る操舵室・無線室が見学できるほか、連絡船の歴史や船の仕組みをパネルや模型、映像で学習できる。
- 「函館駅」から徒歩7分/「市役所前(函館)駅」から徒歩9分
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昭和63年(1988)の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を、産業遺産として保存・展示。当時のまま残る操舵室・無線室が見学できるほか、連絡船の歴史や船の仕組みをパネルや模型、映像で学習できる。
函館山の南東側に位置し、目の前に津軽海峡を望む断崖状の岬。江戸初期は北方警備の監視用台場、明治時代には要塞が築かれたこともあったという。岬上からは青森県の津軽半島の山並みや大森浜の海岸線、湯の川温泉が一望でき、夏にはハマナスの花を楽しめる。岬に向かう坂の途中には石川啄木一族の墓があり、駐車場に隣接して与謝野寛・晶子夫妻の歌碑もある。帰りには日帰り温泉施設の谷地頭温泉に入るのもおすすめ。
明治2年(1869)4月、榎本武揚らが北の防備のために築いた土塁作りの城郭。五稜郭公園の北側約3kmの場所にあり、東西104m、南北66m、4つの稜をもつ蝶のような形をしている。同年5月、官軍と旧幕府軍がここで戦ったという歴史をもち、現在は復元された土塁だけが残り、一帯は公園として整備されている。大規模な五稜郭に比べて規模ははるかに小さく、あまり知られていないが、静かな公園の緑の芝生を散策しながら歴史に想いを馳せてみるのもいい。
函館市街へのアクセスに便利な立地でキャンプも市内観光も楽しめる。広々とした敷地内でのんびりとした時間を過ごそう。フリーサイト5名まで1張2500円~、スタンダードカーサイト1区画4000円~、キャビンサイト4人用1棟1万円~など。
函館市電湯の川温泉電停付近の交差点にある足湯。交通の便がよく、無料で入れるのがうれしい。利用後の足を拭くタオルを準備した方がよい。
かつては軍事要塞として重要な場所だった函館山は、600種類の植物と150種の野鳥が生息する自然の宝庫。標高334mの山頂の展望台からは、奇跡の夜景が楽しめるスポットとして人気だが、雄大なパノラマを眺められる昼景もおすすめ。山麓には1時間前後のハイキングコースも整備されている。
明治以降、北海道の玄関口となった函館。以来多くの来道者の上陸時に使われたという東浜桟橋(旧桟橋)のたもとにある碑は、開道100年を記念して昭和43年(1968)に建立されたもの。設計は当時早稲田大学教授だった函館出身の明石信道。函館港を背景に設置された白いイカリと白く大きなヒグマの碑は、いかにも北海道を感じさせて印象的だ。
元町のはずれ、宝来町の住宅地に延びる素朴な雰囲気の坂。明治11年(1878)にイギリス人やアメリカ人学者が貝塚を調査した際に、このあたりからアサリの貝殻が多く見つかったことが名前の由来となった。坂沿いには、明治時代創業という、すき焼きで有名な「阿佐利 本店」や「佐々木豆腐店」、昔ながらのたたずまいをそのまま残す旧米穀店の建物などもある。プロレタリア文学評論家として知られた亀井勝一郎の文学碑が立つ緑地帯でひと息つこう。
函館の電車通りに面して立つ、大正5年(1916)に建てられた木造2階建てのルネッサンス風建築の建物。文久3年(1863)に、初代・相馬哲平が弁天町に米穀商として開業した相馬商店が始まり。現在は不動産賃貸業を営んでおり、その社屋がこの建物だ。ペパーミントグリーン色の外壁が印象的で、鉄板葺の屋根に、さまざまな装飾が施された1階の三角ペディメントや縦長の窓が歴史を感じさせる。
函館港の整備の際に、海底からすくい取られた土砂を利用して造られた人工島。函館港やベイエリア、函館山、元町地区などの風景を楽しむことができる。芝生の広場や駐車場などの島内の整備も完了し、主に市民や観光客の憩いの場として、またイベント会場として利用されている。
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