唐人墓
石垣島の南西に位置する観音崎に立つ、極彩色の中国風屋根飾りが目を引く墓。西欧諸国が、中国からいわゆる労働者として多くの苦力[くーりー]を自国に送っていた産業革命時代、福建省出身の苦力たちは船旅の途中、船員たちからひどい虐待を受け船内で暴動を起こしたため、石垣島に強制下船させられた。彼らはその後派遣された英国軍により、殺害されたり捕虜となった。石垣の人々は熱心に彼らを助けようとしたが、疫病の流行もあり彼らの多くは命を落としてしまう。異国で果てた彼らを慰めようと作ったのが、唐人墓の始まり。現在の唐人墓は昭和46年(1971)、周辺にいくつもあった唐人墓の遺骨をまとめて作られたもの。
- 沖縄県石垣市