
若一神社
仁安元年(1166)、この地に別邸を構え西八条御所とした平清盛公が、邸宅内の鎮守社として建立。
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仁安元年(1166)、この地に別邸を構え西八条御所とした平清盛公が、邸宅内の鎮守社として建立。
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
応永年間(1394~1427)に行阿上人が開山した古刹。古くから女性の悩みごと、願いごとにご利益がある祈願所として知られてきた。婦人病や女性全般にご利益がある女性の御守などが販売されている。また、人形供養の寺としても知られ、人形を随時受け付けている。
西本願寺南にある真宗興正派の本山。文明年間(1469~1487)、佛光寺の14世経豪が本願寺8世の蓮如に帰依し、佛光寺を弟に譲り、名を蓮教と改めて山科に一宇を建てたのが起こり。佛光寺の旧称から興正寺(興隆正法寺)と称した。その後、石山本願寺とともに寺地を移転し、天正19年(1591)に現在地に移った。建立は江戸時代(1600年頃)で、明治35年(1902)に焼失、明治45年(1912)再建。
京都に現存する多くの文化財的建造物のうち、日本の伝統となりうる文化を新しく生み出した国宝級の神社仏閣など全17件が登録されている。詳細は、京都市の賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、醍醐寺、仁和寺、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、西本願寺、二条城、宇治市の平等院、宇治上神社、京都市と滋賀県大津市にまたがる延暦寺。これらは8~17世紀にわたって京都が日本の建築と庭園設計の中心地であったことを物語っており、とくに庭園においては、19世紀以降、世界各地に価値のある影響を与えたとユネスコにも高く評価されている。
聖武天皇の勅命により、724年に行基が開基したと伝わる古刹。聖武天皇が夢で龍神より打出と小槌を賜ったとの伝説が残る。この打出と小槌を用いた祈祷は金運のご利益を求める参拝者に人気がある。また、打出と小槌の形をしたお守りを授与している。境内には山崎の戦いの折、秀吉公が宝積寺を本陣とした縁から一夜で建立された三重の塔、腰掛けられていた石が残る。また、閻魔大王像をはじめとした多くの重要文化財の仏像を祀っている。
菅原道真公が逝去後31年目に当たる承平4年(934)に、朱雀天皇の勅命により、誕生の地に創建された最初の天満宮。これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐。任務を終え帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつったことが吉祥院の由来で地名の起源となっている。境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる胞衣[えな]塚をはじめ、少年時代習字に使用したという硯の水や顔を写したと伝える鑑[かがみ]の井などがある。
仁和2年(886)に建立されたが、信長の茨木合戦で焼失。慶長8年(1603)に豊臣秀頼が再建した。毎年4月には寺に伝わる山蔭流包丁式があり、全国から料理人が集まる。西国三十三所第22番札所。
徳川家康の禁教令により追放された、高槻領主のキリシタン大名、高山右近を記念して建てられた教会。追放先のマニラの大聖堂を模して造られている。聖堂の前には祈りを捧げる右近の像がある。
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