
普門院
北田川べりに立つ天台宗の古刹だが、幾度も火災に遭い、建物に往時の面影はない。みどころは境内に立つ三斎流の茶室。月を見るために窓を大きくとったことから、観月庵[かんげつあん]とも。不昧の信任の厚かった、荒井一掌[いっしょう]の好みという。門前の橋は、小泉八雲の『あずきとぎ橋の怪』ゆかりの橋で松江市の指定文化財。
- 「松江しんじ湖温泉駅」から徒歩24分/「松江駅」から徒歩25分
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北田川べりに立つ天台宗の古刹だが、幾度も火災に遭い、建物に往時の面影はない。みどころは境内に立つ三斎流の茶室。月を見るために窓を大きくとったことから、観月庵[かんげつあん]とも。不昧の信任の厚かった、荒井一掌[いっしょう]の好みという。門前の橋は、小泉八雲の『あずきとぎ橋の怪』ゆかりの橋で松江市の指定文化財。
旅館「湯元湯の川」の敷地内にある神社。祭神の八上姫命は愛をはぐくむ女神。因幡国(現・鳥取県)の生まれで、大国主命を恋い慕って出雲の地を訪れ、命の御子を生んだ。途中、湯の川温泉で湯浴みをしたところ、たちまち元気になり、美しさもさらに増したとか。湯元湯の川ではハート形の絵馬、縁結び絵馬(2枚1組、800円)もある。
温泉津の港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた神社。本殿の背後にそびえる岩山の上に旧奥の院があり、突き出た岩屋は龍の頭に見える。
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祀る神社。松陰の実家杉家に土蔵造りの小祠が建てられたのが始まりで、現在の社殿は昭和30年(1955)に完成した。学問の神として親しまれ、本殿の北隣には門下生を祀る松門神社が建つ。境内には松陰が主宰し、幕末維新に活躍した志士を数多く輩出した松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅(杉家旧宅)などの史跡が点在。また歴史館(500円)と至誠館(500円)では松陰の生涯や遺志を現代に伝えている。松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅は、平成27年(2015)7月に世界遺産に登録。
指月山善福寺は永享年間(1429~1440)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移された。大内義隆が当寺に与えた文書を所蔵しているが、萩の地名が記されており、これは萩の地名が書かれた最古の文書と言われている。また、境内には胴にマリア像が彫られたキリシタン燈籠がある。
山門脇の八重桜が作品『極楽寺』に詠まれている。みすゞが仙崎の風景を詠んだ「仙崎八景」の一つ。
もとは大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利氏とともに萩に移った古寺。山口市には現在も円政寺町という地名が残る。境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社があり、神仏混合の名残が見られる。伊藤博文や高杉晋作などが遊び、学んだ場所でもあり、幼い晋作が度胸をつけたという大天狗面や遊んだ木馬(神馬)などが残る。山口県下最大級の石灯籠、国内最大級の銅鏡も必見。石鳥居、金毘羅社社殿は萩市指定有形文化財である。
萩城の築城前に毛利輝元が宿舎にした寺。現在ある表門(重要文化財)は輝元が豊臣秀吉から拝領し、寛永10年(1633)に移築したもの。もともとは京都の聚楽第[じゅらくだい]の裏門として建てられた本瓦葺きの屋根をもつ四脚門で、特に蟇股に豪放な桃山時代の特色が見られる。
常念寺界隈から熊谷美術館あたりにある寺町。このように寺院が密集する寺町も城下の守りのひとつだ。寺院は戦闘の際、兵舎に代わるものとして考えられ、張りめぐらされた土塀や、堅固な建物は、単に寺の威信だけではなく、いざという場合のことも考慮して造られている。城下町の守りの堅さを偲ばせる。
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
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