ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
四国霊場第51番札所であり四国遍路のルーツともいわれる衛門三郎[えもんさぶろう]ゆかりの寺。神亀5年(728)に伊予大領越知玉純[おちたまずみ]が創建。本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂[かりていもてんどう]、護摩堂、梵鐘はすべて重要文化財。文保2年(1318)再建の仁王門(国宝)は、重層の楼門で特に蟇股[かえるまた]が美しく、左右に翼廊・高欄が巡る。仁王門の左右金剛力士像は運慶一門の作といわれる。
末広学校は正岡子規が最初に入った寺子屋式の小学校で、のちに智環学校と名前が変わる。かつては正岡家累代の墓があったが、昭和2年(1927)に正宗寺に移された。年末の除夜の鐘は自由に参加できる。その後、新春祈祷のおつとめにも参加可。
天智天皇4年(665)創建と伝わる古刹。河野家の生まれであり、時宗の開祖、一遍上人の生誕地として知られる。境内には子規が詠んだ『色里や 十歩はなれて 秋の風』の句碑があり、その他にも斎藤茂吉や川田順などの歌碑も並ぶ。平成25年(2013) 8月の火災により、国重文木造一遍上人像や本堂庫裡等が全焼したが、平成28年(2016)5月に再建され、新たに鋳造一遍上人像が建立、一遍上人堂内に安置されている。境内からは松山城が望め、松山市内を一望出来る絶景の穴場スポットとなっている。
創建は平安時代にさかのぼる古社。現在の社殿は寛文7年(1667)に当時の藩主松平定長が江戸城で行われた流鏑馬[やぶさめ]の必中祈願成就のお礼に建て替えたもの。京都の石清水八幡宮[いわしみずはちまんぐう]を模したもので、金箔貼りの柱と細密な彫刻が施された総檜皮葺の本殿など八幡造りの社殿(重要文化財)は、安土桃山時代の建築様式を現代に伝えている。重要文化財の太刀も所蔵(県美術館に寄託)。
大国主命と少彦名命を祭り、昔から地震などで温泉の湧出が止まった時に湯祈祷をしてきた。成人の日とその前日に初子祭が行われ、餅まきなどで賑わう。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。 トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。