
龍原寺三重塔
初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
- 「上臼杵駅」から徒歩10分/「臼杵駅」から徒歩19分
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初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
ソメイヨシノやヤエザクラが咲く桜の名所として有名。展望台からは大分市・別府湾が一望できる。大分縣護國神社には慰霊碑や西南戦争で亡くなった軍人や警官の墓地などがある。
職人の町として栄えた、新魚町にある中津藩主・奥平氏の菩提寺。境内にある大雅堂では、江戸中期の南画の大家・池大雅が残した書画47点を保存・展示している。心身ともに充実していた42歳ごろの作品で、これだけの作品が一堂に集まっているのは全国的にも珍しい。1階では寺の宝物を企画展示している。
狭野杉[さのすぎ]で作られた神明流造の社殿には、初代天皇である神武天皇とその父母君を祀る。神武東遷以前は、この地に都が置かれていたともいわれている。毎年4月には五穀豊穣を願う流鏑馬が、10月には「神武さま」と呼ばれる秋の風物詩「御神幸祭」が行われ、多くの人で賑わう。神社を取り囲む広大な森は、市民の憩いの場所となっている。御神殿などが国の登録有形文化財となっている。
江戸時代に仏門に入ったカッパが住んでいたという池と、その墓が残る寺。天保の飢饉のころ、人々が苦しんでいる横で相撲をとっていたカッパたちに、当時の住職が仏法を説いた。「千年生きている我々に文句を言うな」と最初はくってかかったカッパだったが、仏法の貴さに心を打たれ仏門に入る。その後、寺の池に住み、火事や水難から守ったとの言い伝えがあり、火難・水難除けのお守りもある。
天正15年(1587)、黒田孝高[よしたか]によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房[しげふさ]が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている。
五百羅漢で知られる曹洞宗の禅寺。境内に安置された五百羅漢像は、一人の石工覚兵衛[かくべえ]が文久3年(1863)から19年の歳月を費やし彫り上げたもの。521体の石仏の顔は個性的で表情もさまざま。
南洲公園には、西郷が眠る南洲墓地や、南洲神社、西郷関連の資料を展示する西郷南洲顕彰館がある。
大隅国の一の宮。老楠が生い茂る中でひときわ目立つ朱塗りの社殿は、令和4年(2022)2月に国の重要文化財に指定されている。毎年旧暦1月18日を過ぎた次の日曜に行われる初午祭は、450年の歴史を誇る伝統行事。全国でも珍しい鈴懸け馬踊りは毎年20万程の人出がある。また、10月の第3日曜に行われる隼人浜下りも多くの見物客が訪れる。
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