
神田神社(神田明神)
神田明神の通称で人々に親しまれている古社。天平2年(730)創建と伝えられ、歴代将軍の尊崇も厚く、江戸の総鎮守として栄えてきた。江戸三大祭りの一つとして知られる神田祭は、2年に1度5月中旬に催される。文化交流館もあり。境内には、絵巻本などを展示する資料館も併設。
- 「末広町(東京)駅」から徒歩6分/「御茶ノ水駅」から徒歩7分
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神田明神の通称で人々に親しまれている古社。天平2年(730)創建と伝えられ、歴代将軍の尊崇も厚く、江戸の総鎮守として栄えてきた。江戸三大祭りの一つとして知られる神田祭は、2年に1度5月中旬に催される。文化交流館もあり。境内には、絵巻本などを展示する資料館も併設。
「こんぴらさん」で親しまれている四国の「金刀比羅宮」の金刀比羅大権現を勧請した神社。四国の「こんぴらさん」は山の上にあるが、港区虎ノ門の「こんぴらさん」は都心らしくビルの谷間にある。「金刀比羅宮」といえば海上安全、商売繁盛、豊作などのご利益で有名だが、末社には縁結びで有名な結神社がある。
東京メトロ三越前駅から徒歩1分、複合施設「コレド日本橋」のすぐ隣にある古社。創建年は不明だが、貞観年間(859~876年)にはすでに鎮座していたと伝わっており、当時は福徳稲荷として祭られていた。江戸時代、宝くじのもととなった富籤(とみくじ)興行を許された数少ない神社だったこと、“福徳”という縁起のよい社名から注目を集めたことから、金運アップ・宝くじ当選のご利益があるとされている。
東京・永田町の「日枝神社」は古くから「山王さん」として親しまれ、山や水を司り、万物の生成発展守護している「大山咋神[おおやまくいのかみ]」が祀られている。古くは江戸城の中に祀られていたことから、徳川家の鎮守神として崇拝されていた。縁結びや安産、子授け、仕事運、商売繁昌などの御利益が有名。神使は「神猿[まさる]」で境内には夫婦の猿の像が置かれている。
愛知県豊川市にある豊川稲荷の東京別院。8代将軍吉宗に抜擢され活躍した大岡越前守忠相公[おおおかえちぜんのかみただすけこう]が、日常的に信仰していた愛知県豊川市にある「豊川稲荷」の分霊を赤坂一ツ木の自邸に祭ったのがはじまり。本殿のほか、「子だき狐」の像などが祀られている。芸能の神様としても知られる。
寛治6年(1092)に源義家と澁谷氏の祖・河崎基家によって渋谷城内に祀られたのが始まり。神社名は八幡宮ゆかりの基家の孫・渋谷金王丸常光から。朱色が鮮やかな神門と社殿は、慶長17年(1612)の建立で渋谷区指定文化財。徳川家光の乳母春日局と教育役であった青山伯耆守忠俊が、家光の三代将軍就任を祈願し、その願いが成就したことから寄進したという。境内には、江戸三名桜の1つに数えられる「金王桜」がある。源頼朝が金王丸をしのんで植えたもので、代々植え継がれ守り継がれている。
西側にある「金王八幡宮」の兼務社で、鎌倉時代に金王八幡宮ゆかりの河崎基家の曾孫・澁谷高重によって祀られたのが始まりという古社。当初は渋谷駅近くに鎮座して「田中稲荷神社」といわれていたが、後に道玄坂上の「豐澤稲荷神社」と合祀し、昭和36年(1961)には現在地に遷座して「豐榮稲荷神社」となった。石段を登ると朱色の鳥居群が社殿まで続く。境内の右手にある多くの庚申塔は江戸時代のもので渋谷区文化財に指定されている。
浅草寺本堂隣にある神社は、「三社さま」の愛称で親しまれてきた。毎年5月に行われる「三社祭」で本社神輿三体の宮出し、宮入りがされることでも知られる。徳川3代将軍家光公により建立された社殿(重要文化財)は、権現造り。
大聖歓喜天[だいしょうかんぎてん]を祀る、浅草寺一山のお寺のひとつ。境内各所に、身体健全や良縁成就、家庭円満の象徴とされる大根や、商売繁盛を表す巾着のシンボルが見られる。毎年1月7日の大般若講・大根まつりでは、正月にお供えされた大根を調理したふろふき大根が振舞われ、多くの人々でにぎわう。
招き猫発祥の地ともいわれている、注目のパワースポット。境内にはオスとメスがペアになった招き猫の石碑もある。恋愛や良縁を招くとして若い女性を中心とした参拝者が多く訪れ、行列ができることも。縁結御守(お守り)は800円。
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