道祖神社
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
- 「京都駅」から徒歩9分/「東寺駅」から徒歩14分
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憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
全国でも珍しい、女人厄除祈祷のある神社として有名。桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が創建したといい、その歴史も大変深い。歴代皇后にも篤く信仰される皇后陛下勅願所である。
西本願寺南にある真宗興正派の本山。文明年間(1469~1487)、佛光寺の14世経豪が本願寺8世の蓮如に帰依し、佛光寺を弟に譲り、名を蓮教と改めて山科に一宇を建てたのが起こり。佛光寺の旧称から興正寺(興隆正法寺)と称した。その後、石山本願寺とともに寺地を移転し、天正19年(1591)に現在地に移った。建立は江戸時代(1600年頃)で、明治35年(1902)に焼失、明治45年(1912)再建。
永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
足利義満が明徳3年(1392)に創建。夢窓疎石を開山とし京都五山の第2位となった。創建当時は境内北の上御霊神社のあたりまで広がっていたが、応仁・文明の乱のほか度重なる火災や戦乱で焼失と復興を繰りかえした。重要文化財に指定されている法堂も4度の焼失を経て、慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進をうけ5度目に再建された建物。現存最古の法堂の天井には狩野光信筆『蟠龍図』が描かれ、決まった場所で手を打つと共鳴音が響くことから『鳴き龍』として知られている。春(3月下旬~6月上旬)と秋(9下旬~12月上旬)の2回の特別拝観時、春・秋には、法堂、方丈、浴室または開山堂を見学できる。
幕末動乱の日々、孝明天皇は崇徳[すとく]天皇の御神威を仰がれようとしたがまもなく崩御。明治天皇は維新の礎を固めるために、父帝・孝明天皇の御意思を継がれて明治元年(1868)に御創建し、続いて淳仁天皇を合祀した神社。この地は蹴鞠[けまり]の宗家飛鳥井[あすかい]家の邸宅跡で、精大明神(蹴鞠の神)が祀られており、サッカーをはじめ、スポーツ関係者の参詣も多い。7月7日の精大明神祭(七夕祭)には「小町をどり」と「蹴鞠」が奉納される。
明治36年(1903)建設、正教会(オーソドックス・チャーチ)の本格的木造大聖堂。ロシア・ビザンティン様式の聖堂は奥行約27m、高さ約22m。東京都千代田区JRお茶の水駅近くの東京復活大聖堂(ニコライ堂)に比する格式をもつ、明治期の代表的教会建築。聖堂前部には瀟洒な鐘楼、聖堂内には、帝政ロシア後期にモスクワで描かれた聖像(イコン)を納める聖障(イコノスタス)はじめ豪壮・華麗なシャンデリア・燭台などが美しい。国指定重要文化財。
室町中期、「なべかむり日親[にっしん]」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に法華経の教えに基づく政治を求め逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられる拷問にあう。迫害や投獄に耐えた上人に信仰を寄せる者は多く、本阿弥清信(光悦の祖父)もその一人で、その縁で本阿弥家の菩提寺となる。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などは天明8年(1788)の大火で焼失したが、寛政8年(1796)以降、伽藍が整備された。書院前の巴の庭(名勝)は本阿弥光悦の作、また長谷川等伯の佛涅槃図(重要文化財)を所蔵する。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
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