
道祖神社
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
- 「京都駅」から徒歩9分/「東寺駅」から徒歩14分
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憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
明治36年(1903)建設、正教会(オーソドックス・チャーチ)の本格的木造大聖堂。ロシア・ビザンティン様式の聖堂は奥行約27m、高さ約22m。東京都千代田区JRお茶の水駅近くの東京復活大聖堂(ニコライ堂)に比する格式をもつ、明治期の代表的教会建築。聖堂前部には瀟洒な鐘楼、聖堂内には、帝政ロシア後期にモスクワで描かれた聖像(イコン)を納める聖障(イコノスタス)はじめ豪壮・華麗なシャンデリア・燭台などが美しい。国指定重要文化財。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
菅原道真公の没後に水難火難が都を襲い、祟りだと恐れた醍醐天皇の勅願によって創建されたと伝わる。
西本願寺南にある真宗興正派の本山。文明年間(1469~1487)、佛光寺の14世経豪が本願寺8世の蓮如に帰依し、佛光寺を弟に譲り、名を蓮教と改めて山科に一宇を建てたのが起こり。佛光寺の旧称から興正寺(興隆正法寺)と称した。その後、石山本願寺とともに寺地を移転し、天正19年(1591)に現在地に移った。建立は江戸時代(1600年頃)で、明治35年(1902)に焼失、明治45年(1912)再建。
室町時代に日真上人[にっしんしょうにん]が開いた法華宗真門流の本山。広い境内に本堂、祖師堂、方丈、鐘楼などの伽藍と、8つの塔頭がある。西陣が一夜にして灰燼に帰した西陣焼けや天明の大火にも本堂が焼け残ったので、不焼寺[やけずのてら]という異名もある。本堂には鬼子母神が祭られていて、安産祈願に訪れる人が多い。葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きが止むという「夜泣止めの松」も有名。寺のある紋屋町には、西陣らしい雰囲気が残っている。
織田信長の偉勲をたたえて明治天皇が創建した神社。信長が初めて入洛したという10月19日には、船岡祭が催される。京都市街や東山三十六峰の絶景を見晴らす小丘の頂上に鎮座。まさに別天地。信長公所用の胴丸具足、信長公記、義元左文字の刃剣などの重要文化財がある。
本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳があり、その右手には六角形で中央が丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。
後水尾法皇が命名され、勅号「閑臥庵」として知られる黄檗禅宗の寺。貴船の奥の院にあった鎮宅霊符神[ちんたくれいふしん]を祀る。この神は陰陽師安倍晴明が開眼したとされ、方除・厄除の霊神とされる。各個室からは四季折々の庭園が眺められ、黄檗宗伝来の精進料理「普茶料理」が味わえる。夜は本堂や庭園がライトアップされ、静寂と陰影の広がる空間はとても幻想的。テーブル席で2名から要予約。昼コース6500円~、夜コース1万円~。抹茶(京菓子付き)700円。
平安遷都にあたり、悲運の死を遂げた早良親王[さわらしんのう]の御霊を鎮めるため、桓武天皇が興したと伝わる。のちに、いずれも無念の死を遂げた井上内親王、他戸[おさべ]親王、藤原吉子ら6人と、火雷神を合祀、八所御霊[はっしょごりょう]とした。西の楼門をくぐると拝殿の奥に本殿が立ち、境内には応仁の乱発祥地の碑もある。心しずめのお社として知られている。
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