
御金神社
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
- 「烏丸御池駅」から徒歩8分/「二条城前駅」から徒歩8分
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伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
相国寺内にある。暦応2年(1339)後伏見天皇皇后広義門院が、伏見に創建した伏見家菩提所で、徳川家康が再建。足利9代将軍義尚の墓(現在非公開)がある。
百々御所[どどのごしょ]とも呼ばれた尼門跡寺院。代々内親王が住持となっている。光格天皇から賜った人形や盤双六、投扇、貝覆などの遊戯具を所蔵。人形の寺ともいわれる。春と秋には、皇室から贈られた人形などの寺宝を公開する人形展を開催。境内には人形塚があり、10月14日は人形供養祭が行われる。
平安遷都にあたり、悲運の死を遂げた早良親王[さわらしんのう]の御霊を鎮めるため、桓武天皇が興したと伝わる。のちに、いずれも無念の死を遂げた井上内親王、他戸[おさべ]親王、藤原吉子ら6人と、火雷神を合祀、八所御霊[はっしょごりょう]とした。西の楼門をくぐると拝殿の奥に本殿が立ち、境内には応仁の乱発祥地の碑もある。心しずめのお社として知られている。
京都御所の西側、蛤御門の向かいに位置し、平安遷都に尽力した和気清麻呂公を祀る。かつて清麻呂公の災難を助けたというエピソードから、狛犬に替わって「狛イノシシ」が拝殿前に置かれている。
菅原道真公の没後に水難火難が都を襲い、祟りだと恐れた醍醐天皇の勅願によって創建されたと伝わる。
全国でも珍しい、女人厄除祈祷のある神社として有名。桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が創建したといい、その歴史も大変深い。歴代皇后にも篤く信仰される皇后陛下勅願所である。
足利義満が明徳3年(1392)に創建。夢窓疎石を開山とし京都五山の第2位となった。創建当時は境内北の上御霊神社のあたりまで広がっていたが、応仁・文明の乱のほか度重なる火災や戦乱で焼失と復興を繰りかえした。重要文化財に指定されている法堂も4度の焼失を経て、慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進をうけ5度目に再建された建物。現存最古の法堂の天井には狩野光信筆『蟠龍図』が描かれ、決まった場所で手を打つと共鳴音が響くことから『鳴き龍』として知られている。春(3月下旬~6月上旬)と秋(9下旬~12月上旬)の2回の特別拝観時、春・秋には、法堂、方丈、浴室または開山堂を見学できる。
永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
憧れの異性との出会いを成就させる、縁結びの神様として女性を中心に信仰を集めている。道祖神をかたどった愛の土鈴は良縁だけでなく、カップルの永遠の愛を呼び込むとか。交通安全の神としても知られている。
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