
渋谷氷川神社
渋谷で最古の由緒を持ち、毎月デザインが変わる御朱印が人気の神社。毎月15日は縁結び祈願祭が行われ、祈願に訪れる女性が多く、縁結び神社としても知られている。
- 「恵比寿駅」から徒歩16分/「渋谷駅」から徒歩17分
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渋谷で最古の由緒を持ち、毎月デザインが変わる御朱印が人気の神社。毎月15日は縁結び祈願祭が行われ、祈願に訪れる女性が多く、縁結び神社としても知られている。
寛治6年(1092)に源義家と澁谷氏の祖・河崎基家によって渋谷城内に祀られたのが始まり。神社名は八幡宮ゆかりの基家の孫・渋谷金王丸常光から。朱色が鮮やかな神門と社殿は、慶長17年(1612)の建立で渋谷区指定文化財。徳川家光の乳母春日局と教育役であった青山伯耆守忠俊が、家光の三代将軍就任を祈願し、その願いが成就したことから寄進したという。境内には、江戸三名桜の1つに数えられる「金王桜」がある。源頼朝が金王丸をしのんで植えたもので、代々植え継がれ守り継がれている。
西側にある「金王八幡宮」の兼務社で、鎌倉時代に金王八幡宮ゆかりの河崎基家の曾孫・澁谷高重によって祀られたのが始まりという古社。当初は渋谷駅近くに鎮座して「田中稲荷神社」といわれていたが、後に道玄坂上の「豐澤稲荷神社」と合祀し、昭和36年(1961)には現在地に遷座して「豐榮稲荷神社」となった。石段を登ると朱色の鳥居群が社殿まで続く。境内の右手にある多くの庚申塔は江戸時代のもので渋谷区文化財に指定されている。
多摩川台公園の南方、「浅間神社古墳」と呼ばれる古墳上に鎮座する古社。文治年間(1185~1190)、武蔵国に出陣した夫・源頼朝を追ってきた北条政子はこの地で身体を休めた。その折、この亀甲山[かめのこやま]で富士山を眺め、富士吉田の浅間神社に頼朝の武運長久を祈り、持仏の正観世音像を祀ったのが起こり。以来「富士浅間大菩薩」として人々に崇められてきた。朱塗りの社殿は昭和48年(1973)建築で、都内でも珍しい浅間造。眺望スペースからは多摩川の広い景色を望め、冬の澄んだ空気の日には富士山もよく見える。
熊野本宮大社の分霊を祀る。主祭神は伊邪那美神。賑わいのある自由が丘の街にあって、今もなお樹齢の古い樹々に囲まれた鎮守の杜は、季節ごとにさまざまな草花が彩を添え、参拝に訪れる人々を迎えてくれる。社頭には可愛い御守りがいろいろある。
日蓮宗の寺として天正18年(1590)に創建され、目黒区八雲で430年余の時を刻んで来た。「大いちょうの寺」としても知られ、境内にある大きなイチョウは目黒区最大級のものであり、東京都および区の保存樹に指定されている。祈り、学び、修行の場として、また花まつりやお会式を行い、さまざまな文化活動の場として、ヨガスクールや茶道教室、落語会、童話朗読会などの活動やイベントが行われている。墓地入口に「広島被爆子育て地蔵尊」が奉安されている。
東急電鉄大井町線九品仏駅から参道を抜けたところにある九品仏淨眞寺。延宝6年(1678)、珂碩[かせき]上人の創建といわれ、本堂の対面に3つの阿弥陀堂(三仏堂)が立つ。中央の堂に上品上生[じょうぼんじょうしょう]・上品中生・上品下生、北の堂に中品上生・中品中生・中品下生、南の堂に下品上生・下品中生・下品下生の計9体の阿弥陀如来像が納められており、「九品仏」と呼ばれるのはこの印相の異なった9体の阿弥陀如来像から。広い境内は、春は桜、秋は紅葉も美しく、自然の彩りを楽しみながら散策できる。
19世紀イタリアで司祭ヨハネ・ボスコにより設立されたカトリックの修道会であるサレジオ会に委託されていることから、「サレジオ教会」の別名でも知られている。緑豊かな住宅地にたたずむ昭和半ば建造の聖堂は、白を基調としたやさしい外観。鐘楼は目黒通りや環状7号線からも見える教会のシンボルになっている。聖画『江戸のサンタ・マリア』は、17世紀半ばに活躍したイタリアの宗教画家カルロ・ドルチの傑作。「悲しみの聖母」ともいわれ、聖画前で祈ることによって、多くの人が慰めと恵みを受けている。
お釈迦さまをまつるお寺・孝道山本仏殿は、全日本仏教会に加盟する仏教の独立宗派「孝道教団」の総本山。横浜のみなとみらい地区を眼下にする丘の上にあり、境内には施無畏観音像を安置する「本仏殿」と呼ばれる本堂をはじめ、二重塔の仏舎利殿や宝蔵大黒天を祀る大黒堂、不戦の願いを込めた「平和の鐘」(鐘楼)などが点在。仏舎利殿には、仏舎利(釈迦の遺骨)と1200年余灯り続ける「不滅の法燈」が祀られている。いずれも比叡山延暦寺から迎えたもので、仏舎利は伝教大師が中国から請来した由緒深いもの。桜が満開になる春の「孝道山花まつり」、秋は「大黒まつり」で賑わう。
日本神社百選に選ばれた横浜北の守り神。鎌倉時代1192年に鎮守。当時の地名、鈴木村の鎮守として会下谷[えがやと]に創建、鶴崎八幡と称していた。寛永8年(1631)、表谷[おもてやと]へ遷座。若宮八幡と称し、後に鈴木村は篠原村となり、若宮八幡は八幡大神と改めた。神話によれば、生まれながらにして歩き御成長に従い、いよいよたくましく身の丈七尺余り衆に優れた偉丈夫となり、一生涯一度の病気もなされず百十歳迄長生をされたとの伝説がある。このような御祭神のため昔から子育て八幡といわれ、村人は子供の無病息災を祈り、戦に臨む者は武運長久を祈って出兵する者が多く、永い間世人の信仰を得た。境内からは新横浜の街並みを一望できる。
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