
豐榮稲荷神社
西側にある「金王八幡宮」の兼務社で、鎌倉時代に金王八幡宮ゆかりの河崎基家の曾孫・澁谷高重によって祀られたのが始まりという古社。当初は渋谷駅近くに鎮座して「田中稲荷神社」といわれていたが、後に道玄坂上の「豐澤稲荷神社」と合祀し、昭和36年(1961)には現在地に遷座して「豐榮稲荷神社」となった。石段を登ると朱色の鳥居群が社殿まで続く。境内の右手にある多くの庚申塔は江戸時代のもので渋谷区文化財に指定されている。
- 「渋谷駅」から徒歩8分/「代官山駅」から徒歩17分
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西側にある「金王八幡宮」の兼務社で、鎌倉時代に金王八幡宮ゆかりの河崎基家の曾孫・澁谷高重によって祀られたのが始まりという古社。当初は渋谷駅近くに鎮座して「田中稲荷神社」といわれていたが、後に道玄坂上の「豐澤稲荷神社」と合祀し、昭和36年(1961)には現在地に遷座して「豐榮稲荷神社」となった。石段を登ると朱色の鳥居群が社殿まで続く。境内の右手にある多くの庚申塔は江戸時代のもので渋谷区文化財に指定されている。
寛治6年(1092)に源義家と澁谷氏の祖・河崎基家によって渋谷城内に祀られたのが始まり。神社名は八幡宮ゆかりの基家の孫・渋谷金王丸常光から。朱色が鮮やかな神門と社殿は、慶長17年(1612)の建立で渋谷区指定文化財。徳川家光の乳母春日局と教育役であった青山伯耆守忠俊が、家光の三代将軍就任を祈願し、その願いが成就したことから寄進したという。境内には、江戸三名桜の1つに数えられる「金王桜」がある。源頼朝が金王丸をしのんで植えたもので、代々植え継がれ守り継がれている。
渋谷で最古の由緒を持ち、毎月デザインが変わる御朱印が人気の神社。毎月15日は縁結び祈願祭が行われ、祈願に訪れる女性が多く、縁結び神社としても知られている。
天正年間(1573)創建の神社。上目黒村と呼ばれていたこの地で鎮守神として祀られてきた。大山道(現・玉川通り)から急な石段を登りきると立派な社殿が目の前に現れる。階段脇の崖地に造られた参道は、境内社の目黒富士浅間神社への登山道。江戸時代の富士山信仰から、高台にある境内地を「目黒富士」の山頂に見立てており、現在も7月1日には山開きの例祭が行われる。昭和後期までは山頂である境内から富士山を望めたという。近くを流れる目黒川の氾濫や疫病を鎮める役割もあり、悪疫撤退の神様として親しまれている。
明治16年(1883)、神代より受け継がれる古式神道を蘇らせるために神田今川小路に創建された。大正8年(1919)に、西の方角に移転するよう神託がくだり、現在の場所に移転。ご祭神は、高天原を統治する太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめ、日本の記紀神話を中心とした神々で、そのご利益も多岐にわたる。
文治3年(1187)、武蔵国桝杉城主・稲毛三郎重成の創建といわれる古社。神社名は、主祭神の日本武尊[やまとたけるのみこと]が亡くなられた際、白鳥になって飛び立ったという故事と、神域の真下を流れる恩田川に入水した弟橘比売命[おとたちばなひめのみこと]の故事から名付けられたもの。「白鳥」が転じて「神鳥」と書くようになり、さらに「シトド」「シトトリ」と読むようになったという。小高い丘に位置する境内には、本殿・拝殿のほか、仙元社と呼ばれる富士塚や神楽殿などがあり、5月の「一心泣き相撲」でも知られている。
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