
能仁寺
天覧山の南麓にある曹洞宗の古刹。文亀元年(1501)に中山家勝が小庵を開いたのをはじめに、飯能地方の領主の菩提寺として栄えた。明治維新の飯能戦争で多くを焼失したが、昭和11年(1936)に現在の本堂が再建された。天覧山の傾斜を利用した池泉観賞式蓬莱庭園はツツジやサツキなど四季折々の花が咲く約1000平方mの庭園で、日本の名園百選にも選ばれている。本堂手前にある竹林も見事。
- 「飯能駅」から徒歩23分
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天覧山の南麓にある曹洞宗の古刹。文亀元年(1501)に中山家勝が小庵を開いたのをはじめに、飯能地方の領主の菩提寺として栄えた。明治維新の飯能戦争で多くを焼失したが、昭和11年(1936)に現在の本堂が再建された。天覧山の傾斜を利用した池泉観賞式蓬莱庭園はツツジやサツキなど四季折々の花が咲く約1000平方mの庭園で、日本の名園百選にも選ばれている。本堂手前にある竹林も見事。
観音堂の手前には輪廻塔が立っていて、お経が刻まれた円盤を廻すと生者は最高の幸せが約束され、亡者は地獄から天国に生まれ変わるといわれている。秩父指定有形文化財「飛天像」が堂内に安置。境内には勢至堂がある(勢至菩薩は午年生まれの守り本尊)。
牛が座っていたところから観音像が見つかったという伝説から、牛伏堂ともよばれる。平賀源内設計の本堂は秩父札所最大の大きさを誇る。
「長享2年秩父観音札所番付」によると、定林寺が札所1番となっている。当時は定林寺から巡礼を始めたものと思われ、その名残りとして立派な鐘楼があり、梵鐘には秩父、坂東、西国、百観音のご本尊とご詠歌が刻まれている。現在のものは宝暦8年(1758)に再鋳造されたもので県指定文化財である。本尊は11面観世音菩薩で、定林寺は「林寺」とも呼ばれ、これは林太郎定元の菩提を弔うために建立した林家個人の持寺だったため。林家は妙見社の触れ役を勤める家柄だったと伝えられている。
鎮座2100年の歴史をもつ、秩父地方の総社。現在の社殿は徳川家康の寄進によるもの。本殿・幣殿・拝殿をつないだ、荘厳な権現造だ。左甚五郎作の彫刻「つなぎの龍」「子育ての虎」が有名で、背面にある「北辰の梟[ふくろう]」は学問に霊験あらたかとされている。例祭「秩父夜祭」は、国指定重要無形民俗文化財に指定されており、平成28年(2016)にユネスコの世界無形遺産にも登録された。
建久2年(1191)、明智禅師が創建。本尊の如意輪観音は安産子育ての観音として親しまれているほか、眼の病にも霊験があるという。
延徳2年(1490)開創、明応2年(1493)廣見寺2世東雄朔方により再興、開山となる。本尊は聖観世音菩薩。延命地蔵、仁王像が迎える。本堂内の厨子は美術工芸品として評価が高く、堂内安置の子安観音像は、安産と子育てに霊験あらたか。また、体の痛い部分を撫でると身代わりになってくれると伝わる「おびんずる様」で知られる。アニメ映画の舞台地でもある。
秩父札所三十四ヶ所観音霊場の1つで、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、旗を差した場所として語り継がれてきた。西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百番観音に数えられている。西武鉄道・西武秩父駅、秩父鉄道・御花畑駅からほど近く、秩父市街の中心部にあり、5月に花まつり、7月にあめ薬師、12月には夜祭などが行われにぎわう。薬師如来像、聖徳太子七才尊像など多くの文化財・寺宝があり、本堂は明治11年(1878)の秩父大火で焼失したが、明治34年(1901)に一番四萬部寺の本堂を模して再建された。
本尊の聖観音立像は藤原時代の等身大一木造。桜並木の参道の奥には、享保年間(1716~36)建立の重厚な入母屋造の楼門が立つ。佛像の寺・十王像・十三王像・六地蔵・雷神・風神・雨神・あづかり観音・ふれあい観音・その他多数の佛像が奉安されている。花の寺・椿・桜・桃・藤・花蓮など、四季折々の花が境内に咲く。
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