
薬師堂
茅葺き屋根の中禅寺薬師堂は、鎌倉時代初期に建てられた歴史ある建築物。堂内には、薬師如来座像(重要文化財)と手なし神将像が安置されている。薬師如来座像は鎌倉初期の作と伝えられ、穏やかで整った優美な仏像として有名だ。
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茅葺き屋根の中禅寺薬師堂は、鎌倉時代初期に建てられた歴史ある建築物。堂内には、薬師如来座像(重要文化財)と手なし神将像が安置されている。薬師如来座像は鎌倉初期の作と伝えられ、穏やかで整った優美な仏像として有名だ。
北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
安楽寺の背後の山腹にあるこの塔は、鎌倉末期に北条氏によって建立されたもの。現在日本に残る、ただ一つの八角の塔だ。建築は中国から伝わった禅宗様建築。外側から一見すると四重に見えるが、一番下の屋根は「裳階」[もこし]とよばれるひさしのようなもの。縁や手すりがどこにもないなどの特徴がある。塔の内部は内陣と呼ばれ、大日如来像が安置されている。
常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺。鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っている。本堂近くの伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳がある。ともに嘉暦4年(1329)造。
北向観音にある。はじめに建てられた年代は不明だが、現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強い。ちなみに「瑠璃」[るり]は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。
万物を生成させる生島神と、万物を満ち足らしめる足島神を祀る信濃の古社。池に囲まれた神島に鎮座する上宮(御本社)の内殿(県宝)には床板がなく、大地そのものの土間が御神体とされている。武田信玄公の願文をはじめとする戦国武将の起請文[きしょうもん](重要文化財)など、貴重な文化財も多数。真田信幸公寄進の下宮(諏訪神社)の社殿、県内最大級の歌舞伎舞台は長野県宝に指定されている。境内の子安社、夫婦欅、家族欅は良縁子宝・安産子育の御神徳がある。
独鈷[とっこ]山の麓、標高600m。空海によって開山されたと伝わるこの地方で最も古い寺。独鈷山への信仰から創建されたと伝えられる。薬師堂は国指定重要文化財で中部日本最古。薬師如来、十二神将1体も共に国指定重要文化財。
本尊は千手観音菩薩。本坊は常楽寺。厄除観音として広く信者を集めている。一般に寺社は東か南(極楽浄土の方向)に向かって立つものだが、ここは観音堂も観音像も、文字通り北の方角を向いている。北斗七星が人々の依りどころになるように北向きに建っているのだ。来世の利益を願う善光寺と現世利益を求める北向観音の両方に参ることで、現世と来世の幸福が約束されるという信仰があり、片方だけにお参りすることを「片参り」という。多くの著名人が訪れ、北原白秋の歌碑、新派の俳優花柳章太郎の供養碑などが残る。
天平13年(741)、鎮護国家を願う聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。境内には薬師如来を安置した本堂をはじめ、三重塔・大黒天堂・鐘楼・観音堂・地蔵堂・宝蔵などの堂塔伽藍があり、特に和唐折衷様式の三重塔は国の重要文化財。毎年1月7・8日に行われる縁日は八日堂[ようかどう]と呼ばれ親しまれており、蘇民将来符とよばれる護符や、ダルマなどの縁起物を買い求める参拝客で賑わう。夏のハスなど四季折々の花が楽しめる。
北向観音の本坊となっている天台宗の古刹。別所三楽寺の一つで、天長年間(824~834)円仁慈覚大師によって開かれた。本堂裏には石造多宝塔(重要文化財)がある。葺吹きの屋根の本堂、樹齢350年の「御舟の松」に心打たれる。併設の美術館に展示されている徳川家康の日課念仏や聖観音像、古瓦のコレクションなども必見。
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