
文殊堂
温泉街から五台橋を渡った対岸にある、江戸中期の雰囲気を伝えるお堂。元禄年間(1688~1704)に建立。谷文晁[たにぶんちょう]作と伝わる天井画の竜が、夜な夜な川へ水を飲みに出かけたという伝説が残る。長野県宝指定。
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温泉街から五台橋を渡った対岸にある、江戸中期の雰囲気を伝えるお堂。元禄年間(1688~1704)に建立。谷文晁[たにぶんちょう]作と伝わる天井画の竜が、夜な夜な川へ水を飲みに出かけたという伝説が残る。長野県宝指定。
弘法大師が修行霊場として開いた古刹。三重の塔は重要文化財に指定。縁[えん]や匂欄[こうらん](手すり)などが付いていない。未完成となるがゆえに、その姿が簡素で美しいことから、「未完成の完成塔」と呼ばれ親しまれている。名物の手作りのくるみおはぎ900円(4月~11月末までの10~15時、休み:木・金曜、要予約)は、地元産のオニグルミのタレが美味。塩田平散策コースの中ほどにあり、立ち寄る人も多い。
安楽寺の背後の山腹にあるこの塔は、鎌倉末期に北条氏によって建立されたもの。現在日本に残る、ただ一つの八角の塔だ。建築は中国から伝わった禅宗様建築。外側から一見すると四重に見えるが、一番下の屋根は「裳階」[もこし]とよばれるひさしのようなもの。縁や手すりがどこにもないなどの特徴がある。塔の内部は内陣と呼ばれ、大日如来像が安置されている。
万物を生成させる生島神と、万物を満ち足らしめる足島神を祀る信濃の古社。池に囲まれた神島に鎮座する上宮(御本社)の内殿(県宝)には床板がなく、大地そのものの土間が御神体とされている。武田信玄公の願文をはじめとする戦国武将の起請文[きしょうもん](重要文化財)など、貴重な文化財も多数。真田信幸公寄進の下宮(諏訪神社)の社殿、県内最大級の歌舞伎舞台は長野県宝に指定されている。境内の子安社、夫婦欅、家族欅は良縁子宝・安産子育の御神徳がある。
主神は真田昌幸と長男の信之父子。さらに江戸時代にこの地を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られている。何万もの徳川の軍勢を数千人で撃退した真田の知恵や勝運にあやかろうと訪れる人も多い。
茅葺き屋根の中禅寺薬師堂は、鎌倉時代初期に建てられた歴史ある建築物。堂内には、薬師如来座像(重要文化財)と手なし神将像が安置されている。薬師如来座像は鎌倉初期の作と伝えられ、穏やかで整った優美な仏像として有名だ。
真田昌幸の兄・信綱[のぶつな]とその夫人の墓のある寺。勇猛果敢だった信綱が愛用した鎧胴や、長篠の戦いで討死した信綱の首を包んだといわれる血染めの陣羽織、昌幸から信綱寺に宛てられた書状などが寺宝として遺されている。樹齢400年の墓前の桜もみどころだ。
天文16年(1547)、真田幸隆[ゆきたか]が開いた寺。その後昌幸[まさゆき]によって整備され、真田氏の菩提所となった。参道入口にそびえ立つアーチ型の大きな石門が有名。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓がある。春のシダレザクラも見事。
常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺。鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っている。本堂近くの伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳がある。ともに嘉暦4年(1329)造。
北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
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