
旧芝離宮恩賜庭園
老中大久保忠朝[おおくぼただとも]が延宝6年(1678)に将軍から拝領した土地に作庭した回遊式泉水庭園。約4万3000平方mの広大な敷地に、約9000平方mの泉水池を中心とした造り。現存する大名庭園としては最も古いもののひとつ。
- 「浜松町駅」から徒歩2分/「大門(東京)駅」から徒歩4分
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老中大久保忠朝[おおくぼただとも]が延宝6年(1678)に将軍から拝領した土地に作庭した回遊式泉水庭園。約4万3000平方mの広大な敷地に、約9000平方mの泉水池を中心とした造り。現存する大名庭園としては最も古いもののひとつ。
谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
上野駅公園口前から、鴬谷駅の西側に広がる。慶応4年(1868)の彰義隊[しょうぎたい]の戦いで堂塔がほとんど消失した寛永寺の境内で明治6年(1873)には日本で最初の公園に指定。大正13年(1924)に当時の東京市が宮内省から下賜され、都市公園として整備。春にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜が咲き乱れ、都内有数のサクラの名所でもある。
10大財閥の一つ、古河財閥の三代目当主古河虎之助の邸宅として、現在の庭園と洋館が造られた。洋風庭園ではバラ(5~6月・10~11月)が、また、京都の庭師、小川治兵衛が作庭した日本庭園では紅葉が楽しめる。
品川区の中央に位置する品川区立の都市公園。有料施設の多目的広場やテニスコートなどのスポーツ広場をはじめ、噴水や流れ、ロックガーデンがある広場、健康遊具を設置したトリム広場などがある。しながわ中央公園西側エリアには、災害時にテントとして利用できる大型遊具などがあり、しっかりとした防災機能をもっている。運動や散歩、友達との交流のきっかけなどさまざまなシチュエーションで利用できる公園だ。
武蔵野台地の地形を利用した、立体的で変化に富んだ公園。水遊びができるのは、山間の渓流をイメージした流れエリアだ。全長150m、高低差が10mもあり、7カ所で毎分5トンの水を放流している本格的な造り。都内にいながら渓流遊び気分を味わえる。長さ52mのローラー式すべり台も大人気。
王子駅から歩いてすぐ。石神井川の旧流路を整備した、渓谷のような親水公園。地形をそのまま利用しており、数mの石垣に囲まれたせせらぎは、自然の川で遊んでいる感覚で水遊びが楽しめる。王子七滝のひとつ「権現の滝」を再現した毎分1トンの水が流れる滝と、それにつながる流れが水遊びスポット。水はろ過装置が完備された循環水を使用。
江戸時代、八代将軍の徳川吉宗が庶民の行楽のために桜を植樹。当時、上野などでは禁じられていた酒宴も許されたため一気に花見の名所となり、多くの江戸っ子たちでにぎわった。現在も春には約600本の桜が咲き、都内有数の桜の名所として人気を集めている。王子駅方面の山肌を中心に、約1300株のアジサイも植えられており、梅雨時も涼やか。花壇のまわりの散歩道や小さな子どもたちも遊べる遊具施設も整う。公園の南側にある3つの博物館「渋沢史料館」「北区飛鳥山博物館」「紙の博物館」では、王子で育まれた歴史や文化を辿ることができる。
東京都下水道局芝浦水再生センターの施設の上に造られた公園。A~D面の4つのエリアからなり、A面には日本庭園や児童遊具コーナー、B面にはドッグランやバラ園、木製遊具のある芝生広場、C面にはテニスコートなどの運動施設、D面には広大な芝生広場と噴水や湿性花園などがある。
江戸時代に王子村の名主である畑野孫八が自邸に開いたのが始まりで、名前はこれに由来する。庭園として整備されたのは明治の中頃。昭和13年(1938)には食堂やプールなどが作られたが、太平洋戦争中の空襲により焼失してしまった。武蔵野台地の突端である王子近辺には滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝があったが、このうち現存しているものは名主の滝のみ。名主の滝は8mの落差を有する男滝を中心とし、女滝、独鈷の滝、湧玉の滝の4つの滝からなる。名主の滝公園は、これらの滝と自然の風景を取り入れた回遊式庭園である。
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