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かつて坂本龍馬が学んだ神戸海軍操練所は、江戸末期の元治1年(1864)に、軍艦奉行であった勝海舟の建言によって、徳川幕府が神戸に設置した海軍士官養成機関、海軍工廠[かいぐんこうしょう]のこと。旧居留地の南、現在の新港町付近にあったといい、海岸通りの京橋筋南詰に大きな錨をかたどった神戸海軍操練所跡碑が立つ。諏訪山公園の海軍営の碑や、三宮神社の神戸事件跡などと併せて幕末史跡めぐりを楽しもう。
大丸本館の南側に隣接する別館。昭和4年(1929)築のビル4フロアにオシャレなショップが入り、旧居留地活性化のきっかけになっている。
三ノ宮駅からフラワーロードを南へ10分ほど歩いた場所にある、緑あふれる公園。かつてここには外国人専用のグラウンドがあり、さまざまな国のスポーツが行われていた。そのため、ここから日本人に文化が浸透していったともいわれ、日本の近代スポーツ発祥の地だ。園内にはモダンな彫刻や噴水のほか、外国人の社交場だった「神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ」をモチーフにしたレストランなどが立つ。阪神・淡路大震災の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊を願う、慰霊と復興のモニュメントや希望の灯りなどもある。
鎌倉時代に建立された高さ8.5mの十三重塔。石塔の台石に「弘安九年二月」という年月が刻まれる。九代執権北条貞時(在職1284~1301)が平清盛の供養のため建立したという伝承があり、大正12年(1923)の調査により、墳墓ではなく供養塔であることが確認されている。ただし、西大寺の叡尊[えいそん]が弘安8年(1285)8月14日に兵庫で「石塔供養」に臨んだという記録から、近年の研究ではこの石塔が「清盛塚」であろうといわれている。国宝『一遍聖絵』にもこの塔が描かれる。ならんで平清盛像と琵琶塚の碑が立つ。
天正2年(1574)、織田信長が武将・荒木村重に命じて花隈城を築かせたが、後に村重が離反して信長に攻められ、天正8年(1580)に落城。その跡地が公園になっている。
お台場がガンダムなら神戸は鉄人28号や。ちょっと足をのばしてJR新長田駅前に、全長18mにおよぶ「実物大」鉄人28号のモニュメントが完成。神戸出身の漫画家・横山光輝氏を記念して作られたもので、新長田は今空前の「鉄人景気」沸騰中だ。
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