
国宝旧開智学校校舎
明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
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明治9年(1876)、地元大工棟梁の立石清重[たていしせいじゅう]によって建築された。瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の塔屋を載せた擬洋風建築。窓には舶来ガラスをふんだんに使用し、「ギヤマン学校」とよばれた。昭和38年(1963)まで使用された後、現在地に本館を移築。新築当時の姿に復原され、館内では当時の建築資料、教科書などが見られる。見学所要時間40分。
北アルプスや美ケ原高原の山並みを背景に立つ松本市のシンボル。天守が現存する城として、犬山城、彦根城、姫路城、松江城とともに国宝に指定されている名城。石川数正[かずまさ]、康長[やすなが]父子が文禄2~3年(1593~1594)ころ建てたと推定され、戦闘に有利な山城が多く築かれた戦国時代の中で、松本城は異色の平城。敵の侵入を防ぐ石落や鉄砲狭間などが見どころ。中町通りの北を流れる女鳥羽[めとば]川は、侍町と町人町を分けた川で、堀の役割も果たした。3月下旬~4月上旬は桜に包まれ、5月上旬~中旬には月見櫓前に小笠原ボタンが咲く。
「国宝 松本城」の天守。5重6階の天守(国宝)を中心に渡櫓[わたりやぐら](国宝)で乾小天守[いぬいこてんしゅ](国宝)をつなぎ、辰巳附櫓[たつみつけやぐら](国宝)と月見櫓(国宝)を複合した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な天守だ。外壁は白漆喰に黒漆塗りの下見板張りで、窓が少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりもむしろ戦闘への備えがうかがえる。最上階からは、美ヶ原高原や安曇平、北アルプスなどが展望できる。
天守築城のころに築かれた松本城二の丸の正門。明治4年(1871)に取り壊されて以来、石垣のみが残されていたが、平成11年(1999)3月に復元された。一の門(櫓[やぐら]門)と二の門(高麗[こうらい]門)からなり、門台石垣の上に時や登城を知らせる太鼓楼があったことから太鼓門と呼ばれた。年に3回構内の特別公開を行っている。
女鳥羽川にかつて多く生息していたカエルと、商店街に活気が“かえる”をかけている、縄手通りのマスコット。通りの中ほどにはカエル大明神が立ち、ユーモラスなカエルの石像やカエル撮影看板なども点在している。
多くの文人と親交のあった松本市出身の文化人、故池上喜作(きさく)氏の遺族から寄贈された邸宅と庭を市が改装した施設。百竹亭とは、池上喜作の雅号。閑静な和室や茶室は、お茶や生け花の稽古などで市民に利用されている。竹林を配した庭園の一角には俳人の荻原井泉水の句碑がある。4~12月の第1日曜には月釜が開催される(要確認)。
江戸後期から昭和にかけて建てられた5棟の歴史的建造物を移築・保存。国の重要文化財、旧松本区裁判所庁舎は内外部ともに完全な形で残る貴重な和風裁判所で、法廷や会議室などを見学できる。旧昭和興業製糸場では平成7年(1995)まで稼働していた座繰製糸の機械を見ることができる。このほか『あゝ野麦峠』で知られる野麦街道沿いの工女宿宝来屋(松本市重要文化財)、民主主義の先駆者木下尚江の生家(下級武士の住宅)、旧松本少年刑務所独居舎房など、特色ある建物が見学できる。
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