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関ケ原の戦い直後まで山内一豊が城主だったことでも知られる掛川城。平成6年(1994)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元され、令和6年(2024)復元30周年を迎えた。掛川城周辺には早咲きのカケガワザクラ(掛川桜)はじめソメイヨシノ、シダレザクラ、そして色とりどりのユリを楽しむことができる。日本100名城認定。掛川城御殿は国の重要文化財。
天竜川と旧二俣川に三方を囲まれた天然の要塞の地にあり、急峻な丘陵上には本丸、二の丸、蔵屋敷、北曲輪、南曲輪など主要施設が階段状によく残っている。築城時期は判然としないが、16世紀には城郭の基礎ができたとみられる。その後、徳川氏と武田氏が争奪を繰り広げた舞台となるが、野面積の石垣や天守台は豊臣系大名の堀尾氏領有期(1590~1600)に鳥羽山城とともに整備されたことが、最近の調査で判明した。
桃山時代から続く庄屋屋敷「加茂荘」と門前に広がる花菖蒲園。5月初旬~6月下旬にかけて花菖蒲が白壁・土蔵・長屋門などを背景に咲き乱れる。温室では4月下旬からオリジナルアジサイ展が開催され、11月中はダイヤモンドリリーが満開となる。
慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたと言われる関所で、現在の建物は残存する資料をもとに平成元年度(1989)に再建されたもの。本番所などには等身大の人形が並び、当時の様子を再現している。展示棟である姫様館では、江戸期の駕籠や手形などの資料が展示されている。団体料金は20人以上100円、80人以上50円。
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた天然の要害の地にある。丘陵の上を階段状に曲輪が設けられ、主要な施設が連なる。城の中心である本丸や二の丸には、土塁や石垣がめぐらされ、本丸の最奥には天守台がみられる。城郭の基本的な姿は、今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられるが、石垣や天守は豊臣方の勢力下にある堀尾氏の領有時代の天正18年(1590)~慶長5年(1600)に築かれたものと考えられる。家康の長男信康が自害させられた悲劇の城として広く知られている。
戦国時代に今川氏の重臣・朝比奈氏が築城。天正18年 (1590)、天下統一を果たした豊臣秀吉の命により入城した山内一豊は、城の改修や城下の整備を行い、この時初めて天守閣が築かれた。安政元年 (1854)、安政の大地震により被害を受け、その後取り壊された天守閣は、平成6年(1994)、全国で初めて木造による復元がなされた。また、場内二の丸にある御殿は、江戸時代末期に再建され、現存する城郭御殿としては全国に4ケ所しかない貴重な建築物として国重要文化財に指定されている。
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