
科野の里歴史公園
有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
- 「屋代駅」から徒歩13分
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有明山山麓に広がる歴史公園。古墳時代のムラを当時のままに再現した園内には、国の史跡に指定されている森将軍塚[もりしょうぐんづか]古墳や古墳の竪穴式石室などを展示する千曲市森将軍塚古墳館、長野県立歴史館などの史跡や施設がある。
真田神社裏手にある大井戸。水が絶えたことがなく、上田市街地一番の深さを誇る。城の北方にある太郎山の麓まで抜け穴が通じているとの伝説がある。
現在の上田高等学校の敷地は、かつての上田藩主屋敷の跡にあたる。この屋敷は、藩政の中心施設である藩庁でもあった。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・濠[ほり]・土塁[どるい]は、昔の面影をよくとどめており、上田市の文化財に指定されている。表門周辺は、春から初夏にかけて、桜やつつじが美しく咲き誇る。
上田城跡の本丸東虎口櫓門の北側、石垣に組み込まれた大石で、柱石として据えたもの。松代に移封される時、真田幸村の兄信之が持ち去ろうとしたが、全く動かなかったという。
天正11年(1583)に真田昌幸が築城、徳川の大軍を2度撃退した歴戦の名城として知られる。関ケ原の合戦後破却されたが、その後、上田に移封された仙石忠政[せんごくただまさ]によって再建。近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓[すみやぐら]と石垣などが往時の面影を伝える。
江戸時代、北国街道の交通・商業の中心として賑わった宿場町。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。明治以降には宿場時代に使われていた広い部屋を利用し、養蚕・蚕種業の町となった。現在でも江戸時代さながらの風景が見られ、海野宿の歴史を見る事ができる「海野宿資料館」では、かつての暮らしがしのばれる。
江戸時代に小諸宿の本陣と問屋を兼ねていた上田家の旧宅(重要文化財)。旧北国街道沿いに立つ桟瓦葺[さんがわらぶき]、総二階建の建物で、18世紀末から19世紀初めの貴重な建築物。大名駕籠の入口だった表門などが格の高さをうかがわせる。ただし非公開のため、外観を眺めることしかできない。
大手門は慶長17年(1612)、藩主・仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築で、当時としては瓦葦の門は珍しかったため、瓦門と呼ばれていたと伝えられる。実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建設は、東日本を代表する大手門建築のひとつで、日本の城門発展の過程を知る重要な建物として青森県の弘前城とともに大手門の双壁といわれている。
小諸城址 懐古園は、「日本100名城」、「日本さくら名所100選」に選定されており、城下町より低い場所に築かれた全国的にも珍しい穴城[あなじろ]で、西側に流れる千曲川や切り立った谷が天然の要塞[ようさい]を形成し、文豪島崎藤村の『千曲川のスケッチ』にも登場する。園内には、藤村記念館をはじめ小山敬三美術館、動物園、遊園地などがあり、小諸の代表的な観光スポットになっている。園入口には、「懐古園」の大額が掲げられた寄棟造の城門、三の門(重要文化財)が立つ。
六本辻近くの軽井沢霊園の一角にある外人墓地。ここには宣教師をはじめ、軽井沢で没した外国人が静かに眠る。石や木の十字架が立ち並ぶ様子は異国情緒あふれ、たくさんの外国人に愛された軽井沢の歴史がしのばれる。
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