茶室 麟閣
鶴ヶ城公園の一角に立つ県指定重要文化財の茅葺き屋根の茶室。千利休[せんのりきゅう]が豊臣秀吉から死を命じられた際、当時の鶴ヶ城城主・蒲生氏郷[がもううじさと]はその子、少庵[しょうあん]を会津にかくまい、千家復興を働きかけたという。少庵が造ったのが、鶴ヶ城本丸内に造られたこの茶室だ。戊辰戦争後に、茶人・森川善兵衛宅に移築・保存されていたが、平成2年(1990)に元の場所に復元された。会津の銘菓が付いた抹茶が楽しめるのでぜひ。
- 「西若松駅」から徒歩25分
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鶴ヶ城公園の一角に立つ県指定重要文化財の茅葺き屋根の茶室。千利休[せんのりきゅう]が豊臣秀吉から死を命じられた際、当時の鶴ヶ城城主・蒲生氏郷[がもううじさと]はその子、少庵[しょうあん]を会津にかくまい、千家復興を働きかけたという。少庵が造ったのが、鶴ヶ城本丸内に造られたこの茶室だ。戊辰戦争後に、茶人・森川善兵衛宅に移築・保存されていたが、平成2年(1990)に元の場所に復元された。会津の銘菓が付いた抹茶が楽しめるのでぜひ。
直江兼続は上杉謙信の家臣で、謙信の死後は上杉景勝に仕えた武将。国替えで越後から会津に移って来た景勝から、城の大手口の近くに与えられた屋敷がこの場所で、広さは1町(約109m)四方。江戸時代前期の儒学者・兵学者である山鹿素行が生まれた場所でもあり、大正15年(1926)に建てられた自然石の「山鹿素行誕生地」の碑石の書は、海軍軍人・東郷平八郎の筆によるもの。
会津若松のシンボル・鶴ヶ城(若松城)の城跡を整備した歴史公園。堀や土塁、石垣などは約400年以上前のものが残り、内堀内の公園全体が国史跡「若松城跡」に指定されてる。本丸跡には昭和中期に再建された5層の赤瓦の天守閣(若松城天守閣郷土博物館)が聳え立ち、茶室麟閣や表門(鉄門)なども復元されて散策に格好。春には、「さくら名所100選」に選ばれた約1000本のソメイヨシノが開花し、鶴ヶ城さくら祭りも開催されて多くの花見客が訪れる。隣接する福島県立博物館もあわせて訪れるのがおすすめだ。
鶴ヶ城の西口から約500m、新島八重と兄の山本覚馬の生家である山本家があった付近に立つ碑。平成元年(1989)に同志社が建立した。戊辰戦争で鶴ヶ城に籠城して戦った八重が、会津藩が降伏し開城前夜に詠んだといわれる歌が刻まれている。
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城(若松城)天守閣。戦国時代に蒲生氏郷が望楼型の天守閣を完成させ「鶴ヶ城」と命名。江戸時代初期に層塔型の天守閣に改修され、戊辰戦争の際には激しい攻防に耐えた名城だ。明治7年(1874)に取り壊され、現在の天守閣は昭和40年(1965)の再建。赤瓦の5層5階建ての天守閣内は郷土博物館となっており、デジタル技術を駆使し、VR体験や歴代城主の鎧や兜の展示などで、鶴ヶ城や会津の歴史、城下町の変遷などを紹介している。会津の町並みが一望できる最上階展望層はおすすめ。
全国でも珍しい茅葺き屋根の民家風の駅舎。改札口の横には囲炉裏がしつらえられ、真夏以外は火が入っている。駅舎の隣には無料の足湯もある。
奥会津地方で使われてきた生産・生活用具など、代表的な民具3000点を「山・川・道」のテーマ別に展示。施設内には馬宿・染屋・旧猪股家住宅・旧山王茶屋の4棟の茅葺屋根の民家を移築復元している。5~9月には藍染体験(要予約)を実施しており、体験は1時間程度で、ハンカチ1000円~。
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