内子座
道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓[たいこやぐら]を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、大正5年(1916)に建てられた。老朽化のため取壊しの声もあったが、昭和60年(1985)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。
- 「内子駅」から徒歩7分
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道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓[たいこやぐら]を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、大正5年(1916)に建てられた。老朽化のため取壊しの声もあったが、昭和60年(1985)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。
鎌倉時代末期に宇都宮氏により築城されたといわれ、その後藤堂・脇坂・加藤氏ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備された。平成16年(2004)には、史料を基に天守を当時の姿で正確に復元。当時としては戦後復元された木造天守としての4層4階建ては日本初であった。残る4つの櫓は国の重要文化財に指定。
製蝋業で内子随一の豪商となった、本芳我家の分家の屋敷。鬼瓦やなまこ壁の主屋は明治中期の建造で重要文化財。隣接する収蔵庫には、内子および周辺地域の製蝋用具(重要有形民俗文化財)も収蔵(非公開)。展示棟では、木蝋の製造工程をビデオや用具類の模型を使って紹介している。庭側土蔵には、町並の情報展示や喫茶コーナーも併設。
肱川沿いに広がる水郷・大洲は、藩政時代からの町割りが残っている風光明媚な城下町。肱川随一の景勝地に立つ臥龍山荘をはじめ、白壁土蔵が立ち並ぶおはなはん通りや明治の家並みなど、城下町ならではのしっとりとした町並みが残る。
町の東端にある肱川の景勝地・臥龍淵に立つ貿易商・河内寅次郎の別荘で、大洲一番のみどころ。明治時代に10余年の歳月をかけて建てられた数寄屋造の名建築。肱川、冨士山を借景にした庭園に立つ母屋の臥龍院、茶室の知止庵、不老庵の3棟がみものだ。臥龍院、不老庵、文庫は国指定重要文化財。4~5月の日曜、祝日には、臥龍山荘下から出発する屋形船での遊覧、臥龍の渡し(料金:片道300円、問合先:大洲市観光協会)も運航される。
寛政年間(1789~1801)に建てられた大村家住宅は八日市・護国の町並みに現存する最古級の住宅。平成2年(1990)に重要文化財に指定された。内子が製蝋[ろう]で栄える以前の町家の造りで、隣接する豪商・本芳我家と見比べるのも一興。平成24年(2012)までの修理で建築当初の姿に復元された。内部は非公開。
内子の製蝋業の礎を築いた、豪商本芳我家の屋敷。八日市・護国の町並みにあるなまこ壁を施した重厚な建物は、明治22年(1889)に建てられたもの。内部は非公開だが、庭園の一部は公開している。園内の散策は不可。平成2年(1990)に主屋、土蔵、炊事場などが国の重要文化財に指定された。
江戸後期から大正にかけて建てられた町家や豪商の屋敷が軒を連ね、木蝋生産で栄えた町の面影を残す。黄土と漆喰で塗り込められた重厚な大壁や平入り造りが特徴。隣家との間に残る小道や水路は、土壁や石積などと相まって独特の路地空間を生んでいる。懸魚[げぎょ]や虫籠窓[むしこまど]など、家々の意匠も興味深い。重要文化財の大村家住宅、本芳我家住宅、上芳我家住宅を含む600mの通り一帯が重要伝統的建造物群保存地区。
明治17年(1884)に建てられた宇和島警察を移築・復元した建物で、建物自体も見どころの一つ。明治初期の擬洋風建築が興味深い。玄関の上にはバルコニーがあり、モダンな佇まい。国の登録有形文化財に指定されている。館内では、宇和島出身の挿絵画家・高畠華宵[たかばたけかしょう]の作品を常時40点ほど展示。「華宵の部屋」では高畠華宵に関する展示を年1回行っている。隣接して、安政2年(1855)に宇和島藩が独自に設置した砲台跡の石組みが当時のまま残る。
蛮社の獄で投獄され、牢の火災で脱獄した高野長英は、嘉永2年(1849)、卯之町に潜んだ。中町の一本裏の路地を入ったところにある隠れ家がそれ。ここはシーボルトの塾で同窓だった蘭方医・二宮敬作宅の離れ。今は平屋だが、以前は2階建てで、高野長英が隠れていた2階部分のみを地上に保存したもの。
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