
ナナちゃん人形
名鉄百貨店本店メンズ館の前に立つ、身長6.1m、体重600kgの名鉄百貨店の広報部員。季節にマッチした衣装に身を包むオシャレさんだ。
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名鉄百貨店本店メンズ館の前に立つ、身長6.1m、体重600kgの名鉄百貨店の広報部員。季節にマッチした衣装に身を包むオシャレさんだ。
川口町にある七里の渡に面して建てられた河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓。かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名のシンボルを忠実に復元。かの有名な歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いている。「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられている。蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられている。
桑名宿は東海道五十三次の42番目の宿場。桑名藩の城下町でもあり、江戸後期には本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒が立ち並ぶ大きな宿場だった。熱田神宮のある熱田宿とは伊勢湾の海路・七里の渡しで結ばれ、桑名の渡船場は伊勢神宮への入口としても賑わった。現在、七里の渡跡には伊勢神宮一の鳥居と常夜灯が立ち、近くには復元された航海の守護神を祭る蟠龍櫓や、旅館として営業している大塚本陣跡、脇本陣跡などが残る。七里の渡跡から桑名城跡(九華公園)の外堀沿いや街中を通る東海道を散策すれば、「歴史を語る公園」や道標、矢田立場などに往時の宿場町の面影が感じられる。
揖斐川河口、東海道の渡場跡。かつては熱田までの七里(約28km)の間を舟で結んでいた。現在も伊勢国の東の玄関口として「伊勢国一の鳥居」がたっている。
山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代諸戸清六の新居として、大正2年(1913)に建てられた邸宅を公開。鹿鳴館を設計したイギリス人、ジョサイア・コンドル設計の洋館と、それに連なる和館は国の重要文化財で、その前に広がる池泉回遊式庭園も国の名勝指定を受けている。
天正8年(1580)に織田信長の弟・信包[のぶかね]によって築かれた津城は藤堂高虎の入城によって大改修が行われ、明治維新まで藤堂氏の居城となった。現在は堀や櫓などが残り、庭園も造られている。平成29年(2017)4月には、公益社団法人日本城郭協会による「続日本100名城」にも選定された。
日本初の本格的な五十音順国語辞典『和訓栞』[わくんのしおり]を著した谷川士清の生家。「つし2階建て」の質素な邸宅は、安永4年(1775)に建築または改装されたと推測されている。国の史跡指定を受けている。
慶長6年(1601)、徳川四天王の一人で、初代桑名藩主となった本多忠勝が、城下町割とともに城郭の拡張整備を行った。桑名城はかつて「扇城」「海道の名城」と称されたが、戊辰戦争の折に幕府方についたため、明治維新後に壊され現存しない。城跡は、昭和3年(1928)に九華公園として整備され、桜やツツジなどが美しく、市民の憩いの場として親しまれている。また園内には松平定綱(鎮国公)と松平定信(楽翁公)を祀る鎮国守国神社があり、付近には復元された蟠龍櫓(航海の守護神である龍の瓦を頂く二層の櫓。歌川広重『東海道五十三次 桑名』にも描かれた)がある。ペットは放し飼いにせず、マナーを守って利用。
伊勢上野城は、標高40mの台地の上に造られた平山城で、織田信長の弟である信包[のぶかね]が永禄12年(1569)に津城の仮城としてここに居城を定め、天守台、本丸等を整備したものと考えられている。また、お市と茶々、初、江の浅井三姉妹が暮らしていたと言われている。現在は、本城山青少年公園として芝生広場やアスレチックも整備され、4月には花見、天守台跡の展望台や東屋からは伊勢湾が一望でき、家族連れで楽しめる。
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