伸庵・黄梅庵
大仙公園内の堺市博物館横に昭和55年(1980)の博物館開館に合わせて移築し、国の登録有形文化財になった堺市茶室「伸庵」と「黄梅庵」。伸庵では立礼席(椅子席)で抹茶一服500円(干菓子付き)が味わえる。
- 「百舌鳥駅」から徒歩8分/「三国ケ丘駅」から徒歩17分
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大仙公園内の堺市博物館横に昭和55年(1980)の博物館開館に合わせて移築し、国の登録有形文化財になった堺市茶室「伸庵」と「黄梅庵」。伸庵では立礼席(椅子席)で抹茶一服500円(干菓子付き)が味わえる。
仁徳天皇陵古墳の北西、50mほど離れた位置にある前方後円墳。前方部を南に向け、盾型の周濠に囲まれた墳丘の全長は100m、後円部の径63m、高さ10.3m、前方部の幅68.5m、高さ10.3m。3段に築かれた墳丘には葺石と埴輪があり、西側のくびれ部には造出しがある。築造は5世紀前半。主体部の構造や副葬品などは不明だが、百済の王仁の墓との伝承もある。墳丘は宮内庁が仁徳天皇陵の陪塚として管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。周濠は堺市指定史跡でもある。
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」に登録された百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つ。5世紀中期の築造で、三重の濠に囲まれた墳丘は長さ486m、後円部の径249m、高さ35.8m、前方部の幅307m、高さ34m、陵域が約46万4000平方mの日本最大の前方後円墳。クフ王ピラミッド、秦始皇帝陵とともに世界三大墓といわれる。実際の被葬者は不明だが、宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓「百舌鳥耳原中陵[もずのみみはらのなかのみささぎ]」として管理。前方部には長持形石棺が置かれた竪穴式石室があり、墳丘や堤には3万本近い円筒や馬形の埴輪が立っていたと推定される。周囲には永山古墳や丸保山古墳などの陪塚(陪冢[ばいちょう])が10基ほど点在する。見学は南側の拝所か、約2.8kmの周遊道路から。
仁徳天皇陵古墳の後円部に近くに築かれた帆立貝形前方後円墳。濠に囲まれた墳丘は全長約87m、2段築成の後円部の径約60m、高さ約9.8m、前方部の幅約40m、高さ約2.7m。昭和30年(1955)の開墾によって前方部が削られているが、帆立貝形前方後円墳としては百舌鳥古墳群で最大。埋葬部分の構造や副葬品などは不明だが、出土した円筒埴輪からみて築造は5世紀中頃。仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられており、後円部は宮内庁が、前方部と濠は堺市が管理している。国指定史跡であり、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は周囲の道路から。
百舌鳥古墳群南東端にある大型前方後円墳。盾形周濠内の墳丘は全長約300m、後円部の径約170m、高さ約24.6m、前方部の幅約246m、高さ約25.9mで全国7番目の大きさ。3段築成の墳丘のくびれ部両側に造出しがあり、前方部が大きく広がり、安定感が感じられる形は古墳群中最も美しいといわれる。築造は5世紀後半。主体部の構造や副葬品は不明だが、宮内庁が反正天皇陵の伝承もあり、「東百舌鳥陵墓参考地」に指定し管理している。前方部側の御陵山公園と濠沿いの周遊路から見学でき、公園の北端はフォトスポット。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つで、内濠は国指定史跡。
仁徳天皇陵古墳の北方、百舌鳥古墳群の北端にある前方後円墳。墳丘の長さ148m、後円部の径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさ。築造は5世紀中頃。仁徳天皇の第三皇子であり、第18代天皇・反正天皇の「百舌鳥耳原北陵」として宮内庁が管理しており、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つでもある。二重だった濠は、現在、一重の盾型周濠になっており、3段に築かれた墳丘からは埴輪が出土。陪塚とされる古墳は鈴山古墳と天王古墳の2基。古墳南側に拝所があり、北側の方違神社境内からは後円部を間近に見ることができる。
百舌鳥古墳群のほぼ中央、仁徳天皇陵古墳南東に位置する古墳。墳丘長約203m、後円部の径113m、高さ18.3m、前方部の幅136m、高さ17.8mの前方後円墳で、古墳群中4番目の大きさ。築造は5世紀前半。墳丘は3段築成で1段目からは円筒埴輪が、南側のくびれ部の造出しからは須恵器や囲形埴輪などが出土。周囲には盾形の濠と堤がめぐり、陪塚は万代山古墳のみが現存。被葬者や主体部の構造などは不明だが、第15代応神天皇被葬地の伝承もあり、宮内庁に陵墓参考地に指定され管理されている。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。見学は国の史跡に指定されている内濠に沿った周遊歩道から。
令和元年(2019)に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」。大阪府堺市の百舌鳥古墳群、羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群のうち45件49基の古墳が構成資産となっている。これらの古墳は、古墳時代の最盛期である4世紀後半~5世紀後半に大阪平野南端の段丘上に築造されたもの。仁徳天皇陵古墳のような墳丘長が約500mもある鍵穴型の前方後円墳を中心に、帆立貝形墳や円墳、方墳が密集して群を形成。その墳墓形式や規模などから古墳時代の日本独自の埋葬の文化や、権力に関わる政治・社会の構造を伺い知ることができる。
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