
今西家
古代豪族十市県主の一族で、代々、惣年寄筆頭を務めた家。慶安3年(1650)に再建された今井町最古の建物で、民家の法隆寺といわれる。天正3年(1575)、織田信長本陣となり、自治権を認められ裁判を行なう陣屋となった。国指定重要文化財。
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古代豪族十市県主の一族で、代々、惣年寄筆頭を務めた家。慶安3年(1650)に再建された今井町最古の建物で、民家の法隆寺といわれる。天正3年(1575)、織田信長本陣となり、自治権を認められ裁判を行なう陣屋となった。国指定重要文化財。
大和郡山のシンボルとして親しまれる。天正8年(1580)に筒井順慶[つついじゅんけい]が築城。豊臣秀長時代の大増築に際し紀州根来寺[ねごろじ]の大門を移築、平城京羅城門の礎石や石仏、五輪塔までかき集めて豪壮な石垣が築かれた。今も天守台の北面で逆さまに積まれた地蔵が見られる。江戸時代には、水野、松平、本多と城主が替わり、享保9年(1724)以降は柳澤家十五万石の城下町として栄えた。明治時代に城郭は壊されたが石垣や堀が残り、追手門、東隅櫓[ひがしすみやぐら]、追手向櫓、多聞櫓[たもんやぐら]が復元されている。本丸に登城する正式な橋とされる「極楽橋」も完成。桜の季節にはお城まつりで賑わう。
「あおによし寧楽[なら]の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」と詠まれた平城京は、和銅3年(710)に藤原京から遷都された。以後70年余にわたり日本の政治経済文化の中心として栄え、天平文化が華開いた。宮跡は1.1km四方で東へ300mの張り出しがあり、全域が特別史跡として保存。1998年には遺跡として日本で初めて世界文化遺産にも登録された。広々とした宮跡は市民にとっても憩いの場。いつもどこかで発掘調査が行われていて、調査結果に基づき、建物や基壇などの復元工事も進められている。1998年には平城宮の正門である朱雀[すざく]門や東院庭園を復元。2010年には、第一次大極殿の復元工事が完成した。
奈良の古都平城京にあった平城宮の中心的な施設が大極殿。第一次大極殿は、世界遺産に登録されている平城宮跡にあり、朱雀門の真北約800mの位置に堂々と立っている。発掘調査と研究の結果を元に、9年の歳月をかけて復原された。正面約44m、側面約20m、高さ約27mの平城宮最大の宮殿で、屋根は二重の入母屋造。内部は、朱色の直径70cmの丸柱44本と美しく組まれた入組天井で構成され、四方を巡る小壁には上村淳之画伯により四神・十二支が描かれている。中央に置かれている高御座は天皇が着座する玉座。
天武9年(680)、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願。文武2年(698)にほぼ完成。ここは当初の薬師寺があった場所で、本薬師寺跡と呼ばれる。金堂と東西両塔の基壇や礎石が、田んぼに囲まれて残るだけだが、伽藍配置は平城京薬師寺とまったく同じ。金堂跡の巨大な礎石群が、かつての大寺を想像させる。
左右対称に翼廊[よくろう]が付いた美しい明治建築で、かつての旧高市郡教育博物館。館内では各種資料で今井の歴史や建築を紹介。
弥生時代の大環濠集落である唐古・鍵遺跡の一部を整備している。弥生時代の風景を再現し、かつての生活を追体験できる公園。出土した絵画土器をもとに復元された楼閣、多重環濠、大型建物跡の柱の一部が復元されている。
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