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オランダ商館医として文政6年(1823)に来日したシーボルトは、診療所兼学塾「鳴滝塾[なるたきじゅく]」を開いて日本の近代化に貢献した人物。ここはその鳴滝塾の跡地隣にできた記念館で、シーボルトの生涯や功績を6つのコーナーに分け紹介している。隣はシーボルト宅跡(史跡)。所要20分。
『長崎の鐘』『この子を残して』などを著した医学博士・永井隆が、晩年「己の如く隣人を愛せよ」という聖書の言葉から「如己堂」と命名した住居。自らも被爆しながら、被爆者の救護に尽力した。隣接の長崎市永井隆記念館では原稿など遺品を展示。所要30分。
豊臣秀吉のキリシタン禁止令によって処刑された26聖人の殉教地である西坂公園内に立つ記念館。26聖人や日本におけるキリスト教の歴史を分かりやすく紹介している。1階では聖フランシスコ・ザビエルや天正遣欧少年使節の副使・中浦ジュリアンの書簡をはじめ、潜伏キリシタン関連の十字架やメダイ、マリア観音、古地図などが展示されている。長崎外海地域の潜伏キリシタンたちが隠し持っていたという聖画『雪のサンタマリア』は必見だ。2階は、26聖人など殉教者の遺骨を納めた「栄光の間」で神聖な雰囲気が漂う。記念館の設計者である建築家・今井兼次のモザイク壁画も圧巻だ。
原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するために開館した施設。原爆死没者名簿が奉安されており、亡くなられたすべての人々を追悼し、恒久の平和を祈るための「追悼空間」や、原爆死没者の氏名・遺影・被爆者の体験記や証言映像を公開している「遺影・手記閲覧室」、被ばく医療に関する情報の検索や平和への思いを書き残すことができる「平和情報コーナー」がある。
「亀山社中」とは、慶応元年(1865)、薩摩藩や長崎商人などの援助を受けて土佐の浪人だった坂本龍馬が設立した日本初の貿易商社といわれる結社。メンバーには長岡健吉など幕末の激動期を生きた志士たちが名を連ねている。活動の拠点としていたのは、亀山焼窯元であったという亀山に立つ家。記念館は、その亀山社中跡にある建物を幕末当時の姿により近い形で復元し公開している。館内には、復刻したブーツや紋服、ピストル、『海援隊日史』の複製などが展示されており、龍馬が身を隠したといわれる中二階(隠し部屋)も復元されている。
城山国民学校(現在の城山小学校)は爆心地から西片500mの場所にあり、最も爆心地に近い国民学校だった。原爆により鉄筋コンクリート3階建て校舎は、大きく破壊され、2・3階は全焼し、教職員28人、動員学徒等100人余が亡くなった。また、児童は登校していなかったが、家庭などで1400人余りが亡くなった。旧校舎の一部が国指定史跡として保存公開しており、校舎内には写真パネル等が展示している。城山小学校内には、ほかに祈念碑や嘉代子桜、被爆した樹木(カラスザンショウ)などの遺構がある。
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