
東西十九社
出雲大社本殿を囲む瑞垣の外側左右に一列に並ぶ細長い建物。旧暦10月に日本中から出雲に集まってくる神々のための宿舎のひとつといわれる。そのため神無月を出雲では神在月と呼ぶ。創建は寛文年間(1661~73)で、現在あるのは延享5年(1748)の造営。
- 「出雲大社前駅」から徒歩15分
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出雲大社本殿を囲む瑞垣の外側左右に一列に並ぶ細長い建物。旧暦10月に日本中から出雲に集まってくる神々のための宿舎のひとつといわれる。そのため神無月を出雲では神在月と呼ぶ。創建は寛文年間(1661~73)で、現在あるのは延享5年(1748)の造営。
出雲大社域入口に立つ木の鳥居から境内へ一直線に続く参道。両側からおおいかぶさるように続く松並木は、寛永年間(1624~44)に奉納されたもの。
神々の国・出雲にある、古代より縁結びの神として崇められてきた古社。正式には「いづもおおやしろ」と呼び、主祭神は大国主大神。松の参道の奥には、八雲山を背に、檜皮葺きの屋根に千木をのせた御本殿をはじめ、大きなしめ縄が印象的な拝殿や神楽殿、出雲大社の資料を展示する宝物殿など、数多くの社殿が立ち並び、荘厳な雰囲気を漂わせている。延享元年(1744)に造営された国宝の御本殿は、日本最古の神社建築様式である大社造で、高さは約24mもある。年間を通して行われる祭典や神事、奉納行事も多いので事前にチェックを。
出雲大社内にある、玉垣内に鎮座する大社造の大建築(国宝)。現在の本殿は延亨元年(1744)、造替されたもので、垂直に切られた千木が印象的だ。御祭神は大国主大神を主祭神に、ほか5神。現在の高さ24mは他の追随を許さない規模だが、平成12年(2000)4月、巨木3本を束ねた直径3mにもなる柱が境内から出土。伝承どおり、かつては現在の2倍近い48m前後の壮大な高層神殿だった可能性が高まった。
出雲大社から日御碕への途上の見どころ。奉納山中腹には、阿国を顕彰したいという歌舞伎界の思いと地元の人の協力により建てられた於国塔[おくにとう]があり、標高72mの展望台からは国引き神話にある薗[その]の長浜や三瓶山を遠くに望むことができる。高天原から下った建御雷神[たけみかづちのかみ]と大国主神が、国譲りの相談をしたといわれる稲佐の浜が見下ろせ、大社の町並みを展望できるほか、夕日など絶景ポイントでもある。
洋風の駅舎が印象的な、一畑電車大社線の始終端駅。昭和5年(1930)に一畑電鉄大社線の開通に伴って建設され、当初は「大社神門駅」と呼ばれた。鉄筋コンクリート造の平屋建てで、高い天井やステンドグラス風の窓など、アールデコ様式を思わせるおしゃれな建物は一見の価値ありだ。現在は国の登録有形文化財となっている。
出雲大社十九社の奥で木立に守られるようにたたずむ宝物館。大小の大国様、恵比寿様がずらりと並ぶほか、神楽用の笙やひちりきなどの楽器類、神社に伝わる古文書類も多数展示。建物は大正3年(1914)に出雲大社全体の宝物館として造られたもので、趣がある。
出雲大社の西十九社と庁舎の間の門を出ると、巨大な神楽殿が立つ広場がある。ここは神楽や古式の儀式が行われる場所となる。なんといっても目をひくのが注連縄。長さ13m、太さ8m、重さ6トンと日本一のスケールを誇る。
平成2年(1990)、JR大社線の廃止とともに、惜しまれながら役割を終えた駅舎を保存・公開している。現在の駅舎は大正13年(1924)建築。外観は純日本風の木造平屋建てで、和風趣向の際立つ建物だ。国の重要文化財に指定されている。
大社町で代々造り酒屋を営んできた旧家、手錢家に伝わるさまざまな美術骨董を紹介する美術資料館。江戸時代建築の酒蔵を利用した常設展示室には、出雲地方の窯元・楽山[らくざん]焼や布志名[ふじな]焼、小島漆壺斎[こじましっこさい]の漆器など、約500点に及ぶ美術工芸品や民具を展示。明治時代の婚礼用具などもある。第1展示室では企画展を随時開催。所要30分。
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