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主神は真田昌幸と長男の信之父子。さらに江戸時代にこの地を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られている。何万もの徳川の軍勢を数千人で撃退した真田の知恵や勝運にあやかろうと訪れる人も多い。
現在の上田高等学校の敷地は、かつての上田藩主屋敷の跡にあたる。この屋敷は、藩政の中心施設である藩庁でもあった。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・濠[ほり]・土塁[どるい]は、昔の面影をよくとどめており、上田市の文化財に指定されている。表門周辺は、春から初夏にかけて、桜やつつじが美しく咲き誇る。
真田神社裏手にある大井戸。水が絶えたことがなく、上田市街地一番の深さを誇る。城の北方にある太郎山の麓まで抜け穴が通じているとの伝説がある。
上田城二の丸跡にある博物館。真田、仙石、松平と続いた上田藩の歴史や、上田城、北国街道の宿場に関する資料などを展示。真田昌幸の具足など歴代藩主の甲冑、武具が歴史を物語る。また、この地方の特産品である上田紬[うえだつむぎ]、染屋焼[そめややき]など、収蔵品は14万5000点に及ぶ。ナウマン象の臼歯の化石もある。所要30分。
46年間にわたって上田彫塑[ちょうそ]研究会の講師をつとめた、石井鶴三の作品や制作に使用した道具を展示する美術資料室。婦人像や信濃男坐像など約10点の彫塑作品のほか、水彩画、油絵、挿絵、版画などが展示されている。上小教育会館事務室[新館1階]に声をかけてから見学して欲しい。所要時間30分。
天正11年(1583)に真田昌幸が築城、徳川の大軍を2度撃退した歴戦の名城として知られる。関ケ原の合戦後破却されたが、その後、上田に移封された仙石忠政[せんごくただまさ]によって再建。近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓[すみやぐら]と石垣などが往時の面影を伝える。
上田城跡の本丸東虎口櫓門の北側、石垣に組み込まれた大石で、柱石として据えたもの。松代に移封される時、真田幸村の兄信之が持ち去ろうとしたが、全く動かなかったという。
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