
萩焼窯元 泉流山
文政9年(1826)、磁器製作に始まった歴史ある窯元で、独自の粘土や釉薬を使い伝統的な萩焼を継承。現在は文化功労者・吉賀大眉[よしかたいび]氏の孫、吉賀暁[あきら]が継ぐ。登り窯や蹴りろくろ工房が見学でき、陶芸体験も受付ている。萩焼のすべてにふれられるのが魅力。
- 「東萩駅」から徒歩16分
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文政9年(1826)、磁器製作に始まった歴史ある窯元で、独自の粘土や釉薬を使い伝統的な萩焼を継承。現在は文化功労者・吉賀大眉[よしかたいび]氏の孫、吉賀暁[あきら]が継ぐ。登り窯や蹴りろくろ工房が見学でき、陶芸体験も受付ている。萩焼のすべてにふれられるのが魅力。
萩に生まれ、日展を舞台に作品を発表、枠にとらわれない芸術性の高い萩焼を作り続けた文化功労者・吉賀大眉の記念館。白萩釉の上に鉄釉をかけて焼き、美しい雲を描き出した陶壺『彩雲』[さいうん]や細口花瓶『雪峰映雲』[せっぽうえいうん]などは必見。魯山人[ろさんじん]や金重陶陽[かねしげとうよう]など昭和の巨匠の作品、氏の古陶磁コレクションも見られ、陶芸体験(受付9~15時、指導料・入館料込みで手びねり1点2500円~)もできる。所要1時間。
萩焼を見て触れて楽しめる観光施設。館内ショップではモダンなテーブルウェアから格式高い茶道具まで幅広い萩焼を手に取って選べる。絵付けや手びねりの陶芸体験ができる工房や、萩焼を使ったランチなどを楽しめるカフェも併設。名産品も取り揃えてあり、旅の土産選びにも便利。
萩焼伝統工芸士の樋口大桂が、工芸士としての自信と誇りを基に人と環境に優しいやきものを作っている伝統的工芸品萩焼専門窯元。実店舗とwebサイトがある。使用の度合いによって風合いが変化していく「萩の七化け」と言われる萩焼の特徴を尊重して作陶している。薬品によるコーティングをしていないため、この特徴や特性を楽しみながら安心・安全使用できると共に、家電製品(電子レンジ・食器洗浄乾燥機)の使用が可能。
わが国の初代内閣総理大臣・伊藤博文が、9歳の時に山口県東部の光市から萩市へ移り住んだのち、14歳で伊藤家に入家し、本拠とした家(史跡)。博文は約13年間をこの家で過ごし、17歳の時、松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けた。隣接地には伊藤が東京郊外に建てた別邸が移築・公開されている。
吉田松陰の父・杉百合之助の末弟・玉木文之進の家。松下村塾は文之進が天保13年(1842)に近くの師弟を集め、ここで学問を教えたのが始まりで、邸内には松下村塾発祥の地碑が立つ。
安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。
萩漁港に隣接した道の駅。アマダイ、ケンサキイカ、瀬つきあじ、金太郎、真ふぐなど萩産の鮮魚をはじめ、干物、ちりめん、焼き抜き蒲鉾が揃い地元産の海産物が買える「萩の台所」。近郊で採れた野菜や果物のほか、地酒や夏みかん菓子など郷土色豊かな土産物も揃う。和風海鮮料理のレストラン3店舗では目の前の市場で水揚された萩沖の旬の魚介を楽しめる。
萩城の築城前に毛利輝元が宿舎にした寺。現在ある表門(重要文化財)は輝元が豊臣秀吉から拝領し、寛永10年(1633)に移築したもの。もともとは京都の聚楽第[じゅらくだい]の裏門として建てられた本瓦葺きの屋根をもつ四脚門で、特に蟇股に豪放な桃山時代の特色が見られる。
松陰神社にあり、松陰の生涯を誕生から安政の大獄での刑死まで、20のシーンに分けてロウ人形で紹介している。平成27年(2015)7月に登録された世界遺産(明治日本の産業革命遺産)の関連施設。所要20分。
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