
大照院
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
- 「萩駅」から徒歩16分
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萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
山県有朋や桂太郎らが寄贈した橋本川沿い約2kmにわたる桜並木は、明治期より萩市の花見の名所として知られ、例年3月下旬になると見頃を迎える。古木と若木が織り成す並木の桜が水面に映り、行楽客の目を楽しませる。開花時期にあわせて、萩八景遊覧船「桜観賞コース」の特別運航も行われ、土手に咲く美しい桜並木を船上から眺めることができる。
桂太郎は萩出身で、明治政府で陸軍大臣や首相を3回務めた政治家。旧宅は明治42年(1909)、彼が幼少時代を過ごした地に建てられた家だ。和室4室に台所が付いただけの簡素な家で、邸内には藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園がある。
工房に大正時代の建物を利用したギャラリーを併設。ぐいのみ800円~などが購入できる。工房見学やろくろ体験2000円~も可(要問合せ)。
陶器の萩焼と磁器の作品、どちらも手がける松尾優子さん。作陶法はまったく異なるものの萩焼は優雅な桜、磁器は古伊万里風と、いずれも自らが考案するというやさしく温かみある絵柄が目を引く。工房では下絵付け2700円~、ろくろ3240円~の体験もOK、詳細は問合せを。
山県有朋は天保9年(1838)に生まれ、松下村塾に学び、高杉晋作率いる奇兵隊に参加、軍監となり頭角を現して、数々の戦いで戦功を立てる。明治維新後は陸軍大輔となって近代陸軍の基礎づくりに尽力。後に明治政府の高官となり、首相2回、枢密院議長などを歴任した。誕生地である橋本川畔の一角に、大きな石碑が立っている。
藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷。庭園の池に引き込んだ川の水を、さらに台所と風呂場の「ハトバ」(階段を設けて水に近づけるようにした場所)に流し入れて洗いものや入浴に利用するなど、典型的な藍場川沿いの家の水の利用法が見られる。
延享元年(1744)農業用水と川舟での物資運搬のために開削された水路。船を通すためにやや高く造られた石橋が、今も当時の趣を伝えている。川沿いの家には、流れを邸内に取り込み、生活用水として利用していた家も見られる。かつては大溝[おおみぞ]と呼ばれていたが、川端に藩営の藍場ができ、そのため川が藍色に染まりいつの間にか藍場川と呼ばれるようになったといわれている。
指月山善福寺は永享年間(1429~1440)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移された。大内義隆が当寺に与えた文書を所蔵しているが、萩の地名が記されており、これは萩の地名が書かれた最古の文書と言われている。また、境内には胴にマリア像が彫られたキリシタン燈籠がある。
茶陶から器、オブジェまで多彩な作品を生み出す松野創平氏の工房。陶芸体験では小さな子供から年齢問わず楽しむことができ、皿や器に限らず好きなモノを自由に作陶できるのがうれしい。体験料金は1人2200円~で、体験コースを4つ用意(要予約・団体可)。体験コース詳細は「緑栄窯」ホームページで要確認。また、ギャラリーにて購入する事もできる。赤・黒・白など萩焼では珍しい色合いの作品や「和洋折衷」の生活様式にも合う作品・様々なシーンに合う作品・使いやすい作品であることを心がけ一つずつ手作りで制作されており、普段使いから贈答用まで幅広く取り揃えがある。
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