
今八幡宮
大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
- 「上山口駅」から徒歩10分
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大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
京を模した街造りを行った大内24代弘世が、応安2年(1369)京都の八坂神社を勧請した神社。本殿(重要文化財)は30代義興が永正16年(1519)に再建したもので、室町時代の様式をよく伝えている。7月に行われる山口祇園祭はこの神社の祭礼。
フランシスコ・サビエルは天文18年(1549)に来日、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師。西国一の大名だった大内義隆を頼って山口を訪れ、本格的な布教活動を行った。わずか5カ月ほどの滞在だったが、受洗者は500人を越えたといわれる。サビエル来訪400年を記念して建てられた聖堂は平成3年(1991)に火災で焼失。その7年後、高さ53mの2本の塔を持つ斬新なデザインの聖堂として再建された。1階にはサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する資料があり、2階は光と水と幕屋をテーマとしたステンドグラスが美しい聖堂になっている。
応永の乱で戦死した大内氏25代義弘の菩提を弔うため、弟の26代盛見が建立を計画。嘉吉2年(1442)頃に完成した。高さは31.2m。大内文化を伝える貴重な建造物で、国宝に指定されている。上層ほど塔身が細くなるすらりとした立ち姿と、檜皮葺屋根の伸びやかな反りが美しく、日本三名塔の一つに数えられる。五重塔が立つ瑠璃光寺境内は香山公園と呼ばれ、春の梅や桜に始まり、新緑、ツツジ、紅葉、雪景色と四季折々の風情も格別。五重塔を紹介する展示が充実している瑠璃光寺資料館にも立ち寄りたい。
毛利元就を祀る。もと萩城内にあったが、明治時代に現在地に移された。元就は郡山城増築の際、人柱に代えて「百万一心」と彫った石を埋めて一致協力の訓を垂れたといわれる。豊栄神社の絵馬殿には、その文字を写したという額が奉納されており、境内には石碑も立つ。隣接する野田神社には毛利敬親とその子の元徳が祀られている。
古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬~4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏は国の天然記念物に指定されているゲンジボタルが幽玄の世界に誘う。周辺には古民家ショップが点在し、まち歩きも楽しめる。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
山口の自然や歴史などを総合的に紹介する博物館。2階には理工、地学、植物、動物、考古、歴史、天文の各展示室があり、3階展示室では、夏休み期間中に親子で楽しめるテーマの大型展覧会や普段は収蔵されている資料を公開するテーマ展など、期間限定の展覧会を開催している。最新情報は山口県立山口博物館のホームページで要確認。
明治10年(1877)に開業し、地元出身の歴代首相や大臣経験者や文人などが多く利用、山口の迎賓館とよばれた元料亭・祇園菜香亭を移築し再現した施設。
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