
大鐘楼
知恩院の大鐘で、方広寺、東大寺とともに三大梵鐘として知られている。重さは約70トンもあり、僧侶が17人掛かりで撞くという。大晦日や4月の御忌大会に撞かれる。
- 「東山(京都)駅」から徒歩12分/「蹴上駅」から徒歩13分
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知恩院の大鐘で、方広寺、東大寺とともに三大梵鐘として知られている。重さは約70トンもあり、僧侶が17人掛かりで撞くという。大晦日や4月の御忌大会に撞かれる。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
知恩院の北側にある天台宗の門跡寺院で、粟田御所とも呼ばれる。応仁の乱を逃れたという門前の楠の大木が目印。平安末期に比叡山の東塔から移した青蓮坊がそもそもの始まり。代々親王が住職を務めてきた格式の高い寺である。天明8年(1788)の皇居炎上の際には後桜町上皇の仮御所となった。雅な建物は明治以降の再建。みどころは2つの庭園。華頂山を借景とした室町時代の相阿弥作池泉廻遊式庭園と、小堀遠州作の霧島の庭。春秋の特別公開時には、庭園の一角の茶室・好文亭で抹茶付きで鑑賞ができる。
延暦24年(805)、桓武天皇の勅命で最澄によって開かれた。裏山を借景とした緑の深い庭園は、相阿弥作と伝わる。文治元年(1185)に建礼門院が出家したことで知られ、わが子安徳天皇の御衣で作った仏幡[ぶつばん]や建礼門院像など、『平家物語』の世界が広がる。
知恩院の中心となるお堂。法然上人の御影を安置することから、御影堂と呼ばれ、大殿とも呼ばれている。現在のお堂は、寛永16年(1639)、徳川三代将軍家光によって再建された国宝。一度に2000人が参拝できるという大きさだ。令和2年(2020)には約9年に及ぶ平成の大修理が完了した。堂の正面右側の庇の梁にあるのは、「知恩院の七不思議」の一つ、左甚五郎の忘れ傘。これは傘から雨、そして水を連想させることから、火災から知恩院を守るといわれている。
南禅寺の近くに位置する蹴上インクラインは、明治期に敷設された全長約582mの傾斜鉄道を形態保存したもので、国の史跡にも登録されている。運行当時は、舟を台車に載せて、高低差約36mの斜面を行き来していた。春には線路沿いにソメイヨシノ約90本が咲き、線路内を歩きながら桜を楽しむことができる。また、近くにある琵琶湖疏水記念館では、インクラインの模型などを展示している。
2カ所ある展望台からは京都市街を一望できる。桓武天皇平安京造営時に都の安泰を念じて将軍の像を埋めた大きな将軍塚があり、庭園は桜や桃が咲き乱れ、秋は紅葉が真紅に染まる。
貞観18年(876)の創建と伝えられる古社。三条神宮道通の南側、石段を上がった高台にあるため、8月16日の大文字の送り火の際は、五山の送り火のうち左大文字・船形の送り火を見ることができる。毎年スポーツの日の神幸祭には、祇園祭の山鉾の原形といわれる、高さ7~8mの剣鉾数基が町内を練り歩く。神社の前は旧東海道が走り、京の七口の一つ粟田口に位置。今もその当時の名残で、旅行安全のお守りを授けている。
知恩院にあり、元和7年(1621)に建てられた。現存する木造の門としては日本最大級で、正面約50m、側面約12m、高さ約24mの堂々たるもの。石段下から見上げると圧倒されるような門だ。近づくにつれて見えてくる、木組み細部の幾何学的な美しさも必見。
臨済宗南禅寺派の大本山。正応4年(1291)、亀山法皇の離宮を、大明国師を開山に迎えて寺に改めた。創建時の建物は応仁の乱の兵火で焼失し、現在の伽藍は桃山時代以降の再建。国指定重要文化財の高さ22mの三門は、藤堂高虎が大坂夏の陣で命落した将士を弔うため寛永5年(1628)に再建。歌舞伎『楼門五三桐』で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」の名セリフで見得を切るシーンで有名だ。御所の殿舎を移築した大方丈と伏見城遺構の小方丈から成る国宝の方丈の襖絵は、狩野永徳や狩野探幽ら狩野派の作で国指定重要文化財。国指定名勝の小堀遠州作庭の方丈庭園も見事。
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