
京都市考古資料館
大正3年(1914)に建てられたモダンなレンガ造りで、元は西陣織物館だった建物。玄関に向かって右側に、「西陣」と書かれた大きな石碑が立っている。現在は京都市内から発掘された旧石器時代から江戸時代にいたる出土品約1000点を、時代別コーナーに分けてわかりやすく展示している。年2回特別展示を開催。
- 「今出川駅」から徒歩15分/「鞍馬口駅」から徒歩21分
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大正3年(1914)に建てられたモダンなレンガ造りで、元は西陣織物館だった建物。玄関に向かって右側に、「西陣」と書かれた大きな石碑が立っている。現在は京都市内から発掘された旧石器時代から江戸時代にいたる出土品約1000点を、時代別コーナーに分けてわかりやすく展示している。年2回特別展示を開催。
後水尾法皇が命名され、勅号「閑臥庵」として知られる黄檗禅宗の寺。貴船の奥の院にあった鎮宅霊符神[ちんたくれいふしん]を祀る。この神は陰陽師安倍晴明が開眼したとされ、方除・厄除の霊神とされる。各個室からは四季折々の庭園が眺められ、黄檗宗伝来の精進料理「普茶料理」が味わえる。夜は本堂や庭園がライトアップされ、静寂と陰影の広がる空間はとても幻想的。テーブル席で2名から要予約。昼コース6500円~、夜コース1万円~。抹茶(京菓子付き)700円。
鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。金売吉次の屋敷の神社ともいい、もとは内野八幡宮という名であったが、このとき以来首途八幡宮と呼ばれるようになったという。首途とは出発という意味。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している。まゆを俵型に重ねた繭守は、嫁に行くときタンスの中に入れておくと衣装持ちになれるのだそうだ。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。キリシタン大名の大友宗麟[おおともそうりん]の天文4年(1535)に創設。表門(重要文化財)、本堂(重要文化財)は創建当初の遺構。方丈裏の閑眠庭[かんみんてい]は、枯山水の庭を横ぎるようにして7個の石で十字架が表されている。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
西陣の織屋建を利用した織物の展示館。西陣織に限らず、日本各地の手織物や復原の能装束、幕末から昭和初期の時代衣装を展示。隣接する工場では、熟練の職人が機を織る姿を見学できる。希望すれば、手織り体験(入館料込み5000円、1名~要予約)も可。テーブルセンターなどを作ることができる。
織田信長の偉勲をたたえて明治天皇が創建した神社。信長が初めて入洛したという10月19日には、船岡祭が催される。京都市街や東山三十六峰の絶景を見晴らす小丘の頂上に鎮座。まさに別天地。信長公所用の胴丸具足、信長公記、義元左文字の刃剣などの重要文化財がある。
平安遷都にあたり、悲運の死を遂げた早良親王[さわらしんのう]の御霊を鎮めるため、桓武天皇が興したと伝わる。のちに、いずれも無念の死を遂げた井上内親王、他戸[おさべ]親王、藤原吉子ら6人と、火雷神を合祀、八所御霊[はっしょごりょう]とした。西の楼門をくぐると拝殿の奥に本殿が立ち、境内には応仁の乱発祥地の碑もある。心しずめのお社として知られている。
菅原道真公の没後に水難火難が都を襲い、祟りだと恐れた醍醐天皇の勅願によって創建されたと伝わる。
室町中期、「なべかむり日親[にっしん]」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に法華経の教えに基づく政治を求め逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられる拷問にあう。迫害や投獄に耐えた上人に信仰を寄せる者は多く、本阿弥清信(光悦の祖父)もその一人で、その縁で本阿弥家の菩提寺となる。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などは天明8年(1788)の大火で焼失したが、寛政8年(1796)以降、伽藍が整備された。書院前の巴の庭(名勝)は本阿弥光悦の作、また長谷川等伯の佛涅槃図(重要文化財)を所蔵する。
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