
釘抜地蔵
参道に高さ1mの釘抜がある。心身の苦しみを抜いてくれる苦抜地蔵がなまって、釘抜地蔵と呼ばれるようになったという。苦しみがなくなると2本の釘と釘抜きを絵馬に張り付け奉納する。地蔵堂の四方は絵馬でいっぱい。安置されている釘抜地蔵菩薩は、弘法大師が自ら石に刻んだと伝えられる。国指定仏像4体があるのも見ごたえある。
- 「北野白梅町駅」から徒歩21分
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参道に高さ1mの釘抜がある。心身の苦しみを抜いてくれる苦抜地蔵がなまって、釘抜地蔵と呼ばれるようになったという。苦しみがなくなると2本の釘と釘抜きを絵馬に張り付け奉納する。地蔵堂の四方は絵馬でいっぱい。安置されている釘抜地蔵菩薩は、弘法大師が自ら石に刻んだと伝えられる。国指定仏像4体があるのも見ごたえある。
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
慶長11年(1606)に建立。浄土宗総本山知恩院に属する。三代目住職に可愛がられていた猫の恩返しで寺が栄えたという伝説から「猫寺」とよばれる。
安貞元年(1227)、藤原秀衡の孫である義空上人によって開創され、本尊釈迦如来坐像を安置したことに始まる。正式には大報恩寺というが、創建当初から千本釈迦堂の名で親しまれてきた。応仁の乱で諸堂は焼失したが、残った本堂(国宝)は洛中最古の木造建造物。建造時に夫である棟梁のミスを助けたあと、秘密を守るため自刃した「おかめ伝説」が残り、境内にはおかめ塚やおかめ像がある。霊宝殿には快慶作の十大弟子立像、定慶作の六観音像(重要文化財)、地蔵菩薩像(国宝)などを安置。12月7・8日の大根焚きは京都の冬の風物詩。
本尊は閻魔法王。2.5m近くある巨像で、左右に検事役の司命[しめい]と、記録係の司録[しろく]を従える。5月1~4日のゑんま堂狂言は、壬生寺・嵯峨釈迦堂とともに京都の三大念仏狂言。この寺の狂言は他のもののように無言ではなく、台詞が入る。境内にはゑんま堂普賢象桜といわれる桜の名木、十重の石造紫式部供養塔(重要文化財)などがある。京のお盆の行事、「お精霊迎え」の寺としても知られる。2月20日から3月いっぱいまでは、つるし飾り、御殿雛を公開している。
学問の神様、菅原道真公をお祀りする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古くより「北野の天神さま」と仰ぎ親しまれている。特に受験シーズンは入試合格・学業成就祈願で訪れる参拝者が後を絶たない。境内は豊臣秀吉公が開催した「北野大茶湯」ゆかりの地。現在の御本殿は慶長12年(1607)豊臣秀頼公により造営され、国宝に指定されている。全国屈指の梅の名所でもあり、2月25日の梅花祭には境内にて上七軒の芸舞妓による「野点茶会」が催され、12月13日からは新春御祝「大福梅」が参拝者に授与(有料)される。毎月25日の天神さんの御縁日には露店が軒を連ね、多くの参拝者で賑わう。
北野天満宮の東が京都最古の花街上七軒。上七軒歌舞練場の日本庭園では夏にビアガーデンが開かれ、西陣の旦那衆の遊興地として発展してきた花街の風情を手軽に味わえる。
平安遷都に伴い奈良から移転。今木皇大神[いまきのすめおおかみ]をはじめ、四柱の神を総合し平野皇大神[ひらのすめおおかみ]として祀る。「皇大神」とは、神の中でも最高位を表す語。国内8万以上ある神社の中でも伊勢神宮など数社しかなく、その格式の高さが知られる。本殿(重要文化財)は、比翼春日造という特殊な形式。古くから桜の名所で、他にも四季を通じて様々な花が咲く。4月10日の桜花祭、9月14日の奉灯祭、仲秋の名月祭には盛大に奉納行事が行われる。
上七軒通りの京町屋。舞妓や芸妓が実際に着用していた上質な着物や帯、かんざし等を身につけ、記念写真を撮影できる。上七軒で芸妓に出ていた勝ふみ氏が、花柳界の貴重な話や写真ポーズの指導もしてくれる。一組ずつの貸切り制なので、1人でも気軽に体験可能だ。
神亀3年(726)に行基が創建。北野大茶会のとき宿となったこの寺に、豊臣秀吉が寄進したという五色八重散椿で知られる。花びらがひとひらずつ散る姿から、散り椿の名があり、現在は樹齢約120年の第二世が本堂前庭で赤、白、ピンクなど五色の花をつける。見ごろは3月下旬~4月初旬。洛陽三十三観音霊場、第三十番札所。
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