
坂本龍馬誕生地
坂本龍馬は天保6年(1835)11月15日にこの地で誕生した。現在は記念碑が建っており、毎年11月15日には記念碑の前で龍馬誕生祭が行われる。
- 「上町一丁目駅」から徒歩2分/「枡形駅」から徒歩3分
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坂本龍馬は天保6年(1835)11月15日にこの地で誕生した。現在は記念碑が建っており、毎年11月15日には記念碑の前で龍馬誕生祭が行われる。
300年も前から続く街路市は日・火・木・金曜、高知市内各所で開催。なかでも賑やかなのが日曜市だ。高知城の追手門前から東に延びた全長約1kmの追手筋に、びっしりと軒を連ねる露店は約300軒。1日の人出約1万7000人とスケールが大きい。その約7割が農産物店だが、自家製の餅や田舎寿司を売る店、イモ天の店、打ち刃物店、植木店、骨董店などもある。素朴なおばちゃんたちの笑顔が素敵な真心の市だ。
日本で最初に、人名を冠した郵便局。龍馬生誕地にあり、窓口で手紙やハガキを出すと龍馬像の入った風景印で消印してくれる。
近藤長次郎(1838-1866)は天保9年(1838)に餅菓子商「大里屋」の長男としてこの地に生まれる。文久2年(1862)、坂本龍馬と同様に勝海舟の門に入り、神戸海軍操練所を経て長崎で薩摩藩の周旋役として活躍する。長州藩のために薩摩藩名義でユニオン号の購入に尽力し、薩長同盟成立に大きく貢献するも、英国留学を計画していたことを責められ自刃したとされる。同郷であり、仲の良かった龍馬は嘆いたという。
三層六階の天守をもつ平山城[ひらやまじろ]。初代土佐藩主・山内一豊が慶長6年(1601)に築城を開始。慶長16年(1611)、二代藩主・忠義の時に完成した。その後焼失したが、宝暦3年(1753)に再建。天守をはじめ、詰門[つめもん]や東西の多聞櫓[たもんやぐら]、黒鉄[くろがね]門は、いずれも重要文化財に指定されている。天守のある本丸は、全国で唯一天守・御殿などの建造物がセットで残る。追手門そばの板垣退助像や山内一豊像、その妻の千代像も見逃せない。
物理学者で、随筆家の寺田寅彦が4~19歳に住んでいた旧家を復元、一般公開。離れに勉強部屋や茶室が再現され、庭園も美しい。
坂本龍馬が生まれ育った、上町に立つ記念館。模型や映像による展示を通して、龍馬の生涯を追体験できる。昔の上町の様子を再現し、町の歴史・文化についても紹介。坂本家の離れをイメージした休憩スペースも設けられている。マップやミニチュア模型で龍馬関連の史跡をチェックしてから、高知市内観光に出かけるのもよい。観光ボランティアによる館内ガイド、周辺史跡の案内あり。
「自由は土佐の山間より」と言われるように、土佐の自由民権運動は近代日本に大きな役割を果たした。その歴史を、板垣退助遭難時の短刀、「自由主義」の焼印、植木枝盛の憲法草案と書斎など、貴重な資料や映像で紹介している。
龍馬が14歳から19歳まで修業した道場の跡付近。場所は特定できないが、頑丈な石垣などが往時の風景を思い起こさせる。
高知市にある天満宮で、例年、高知県では最も初詣参拝者が多い。菅原道真公の薨去後、その嫡男で土佐に流されていた高視公が遺品を霊璽として創建した。嘉永6年(1853)に建てられた楼門は市文化財。特に学業成就を願う受験生の参拝が多い。
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