江戸時代の初めに各地から運ばれた米の取引は、土佐堀川沿いの北浜の路上で行われていた。この米の取引は当時の豪商「淀屋」が中心となって行ったため「淀屋の米市」とも称された。この米市では、実物の米と交換できる米切手の取引(正米取引)と、今日の先物取引にあたる帳簿上だけの取引(帳合米取引)が行われた。米市の相場は、全国の米相場の基準となった。また、世界における組織的な先物取引所の先駆けとして広く知られている。現在、跡地には建築家の安藤忠雄氏デザインの巨大な米粒「一粒の光」と、稲穂を持つ童子の像が立つ。
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