洞泉寺
天正13年(1585)に豊臣秀長が建立したといい、本尊の阿弥陀三尊立像(重要文化財)は鎌倉時代の作で快慶作と伝わる。門の左手の小堂に祭る石仏「垢かき地蔵」はふっくらした顔立ちで気品があり、かつては郡山城の沓脱石[くつぬぎいし]になっていたといわれる。門前の洞泉寺町はかつての花街で、木造3階建ての旧遊郭が残る。
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天正13年(1585)に豊臣秀長が建立したといい、本尊の阿弥陀三尊立像(重要文化財)は鎌倉時代の作で快慶作と伝わる。門の左手の小堂に祭る石仏「垢かき地蔵」はふっくらした顔立ちで気品があり、かつては郡山城の沓脱石[くつぬぎいし]になっていたといわれる。門前の洞泉寺町はかつての花街で、木造3階建ての旧遊郭が残る。
興福寺境内の南側に位置する八角円堂。弘仁4年(813)、藤原冬嗣[ふじわらのふゆつぐ]が父内麻呂[うちまろ]のために建立した。現在の堂は江戸時代の再建。西国三十三カ所観音霊場第9番札所でもあるため、堂前には線香の煙りが絶えず、庶民的な雰囲気が漂う。本尊は高さ3.4mの不空羂索[ふくうけんさく]観音坐像(国宝)で、運慶の父康慶一門の作だ。堂内は、毎年10月17日(9~17時)に特別開扉される。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
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