
春岳院
大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
- 「近鉄郡山駅」から徒歩10分/「郡山(奈良)駅」から徒歩11分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
龍田風神とも呼ばれる風の神を祀る式内社。崇神[すじん]天皇の時代に凶作が長く続いた際、神のお告げをもとに社殿を創建。気を司る天御柱[あまのみはしら]大神と国御柱[くにのみはしら]大神を祀ったところ、五穀豊穣になったと伝える。近年は、航海や航空の安全を祈る参拝客も多い。7月第1日曜の風鎮[ふうちん]祭は、天武4年(675)には営まれていたという祭りで、風神太鼓や神楽を奉納。豪快な手筒花火で幕を閉じる。
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
大和では珍しく達磨を祭る聖徳太子ゆかりの寺。太子がこの地で瀕死の旅人を見つけ、衣食を与えて介抱したが、翌日死亡してしまった。亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、太子が与えた着物のみが残されたため、これは達磨の化身であったかと堂を建てたという。鎌倉時代の初めには現在の境内の古墳上に寺が建てられ、達磨像を祭った。現在の本堂は平成16年(2004)に完成。木造達磨太子坐像(重要文化財)や絹本着色涅槃図(重要文化財)など寺宝も多い。
大和川・寺川・曽我川など9つもの川が合流する場所に立ち、農耕と治水の神として信仰を集める古社。境内には、春日造の朱塗りの社殿が鎮座している。2月11日の御田植祭[おたうえさい]は「砂かけ祭」と呼ばれ、参拝者も一緒になって砂を激しくかけあう奇祭。河合町指定無形民俗文化財に指定。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。