
倉敷館観光案内所
大正6年(1917)に倉敷町役場として建てられた洋風建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えている。
- 「倉敷市駅」から徒歩15分/「倉敷駅」から徒歩15分
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大正6年(1917)に倉敷町役場として建てられた洋風建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えている。
国の重要伝統的建造物群保存地区。白壁や格子窓の町家や蔵が並び、大正15年(1926)に架け替えられた今橋や、昭和34年(1959)頃に復元した常夜灯などがしっくりとなじんでいる。倉敷美観地区の歴史やみどころを詳しく知ることができるボランティアガイドあり。夜間は倉敷川畔を中心に景観照明を実施。ほのかなあかりに包まれ、幻想的に浮かび上がる町並みを楽しめる。点灯時間は日没~21時(4~9月は~22時)。
おのみち文学の館の一つで、昭和8年(1933)暮れに病気療養のため尾道を訪れたアララギ派歌人中村憲吉終焉の家。外観のみの見学で、資料は文学記念室に展示されている。
大名や幕府要人などが宿泊に利用した広島藩領内9カ所のなかでも最大規模の御茶屋(本陣)。明治維新後は賀茂郡役所(後に賀茂地方事務所)となり、芸南地方の文化の中心地となった。現在は賀茂鶴酒造の敷地内にある。外観のみ見学可能。
永禄10年(1567)毛利元就の三男・小早川隆景が築いた平城の遺構。本丸をはじめ32の隅櫓、14の城門を築き、海に向かって開かれた船入と街道の入口に寺を配して、町全体が城郭兼軍港の機能を備えていた。現在は本丸跡をJR山陽本線が貫き石垣と濠が往時の名残をとどめる。
元和8年(1622)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が福山十万石の領主となって築城。天守閣は昭和41年(1966)の再建で、博物館として公開している。京都の伏見城から移築されたという伏見櫓(重要文化財)と筋鉄御門[すじがねごもん](重要文化財)は往時の遺構。令和4年(2022)令和の大普請では全国で唯一となる天守北側壁面の鉄板張りが復元された。
元和5年(1619)徳川家康の従兄弟・水野勝成[みずのかつなり]が備後十万石の領主となり築城し元和8年(1622)に完成。今の天守閣は昭和41年(1966)に再建され、博物館として公開されている。城内には約300本のソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラが咲く。福山城博物館もある。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「柳井市古市金屋伝統的建造物群保存地区」。その江戸時代の白壁の商家の家並みが続く通りにある資料館は、「室屋」の屋号をもち、最盛期には50隻もの帆船を抱えた豪商・小田家の屋敷を利用したもの。元禄14年(1701)に建築された屋敷はこの町で最も古く、屋敷面積2561平方m、建坪1500平方mは現存する町屋で国内最大級。館内には小田家が使用していた商いの道具や生活用品を多数展示。山口県有形民俗文化財。所要30分。
昭和7~13年(1932~1938)まで種田山頭火が住んでいた草庵。山頭火はこの間にも各地を旅したが、放浪の人生にあって、最も長く結んでいた庵が、生まれ故郷の防府に近い其中庵だった。跡地に立つ現在の建物は、平成4年(1992)に復元されたもので、四畳半と三畳二間からなる間取りは、当時の記録に基づき再現。室内に置かれた袈裟や火鉢などからも、質素な暮らしぶりがうかがえる。
高杉晋作没後90年を記念して造られた備前焼の陶像が関門海峡を見わたすように建っており、桜の名所としても知られている。車で近くまで行けるが、長くて急な階段を登りきって眺めると感動も増す。
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