
銀の時計
太閤通口からすぐの中央コンコースに立つ銀色の時計。新幹線改札口のすぐ目の前にあるので、遠方から来た人との待ち合わせにおすすめ。
- 「名古屋駅」から徒歩2分/「名鉄名古屋駅」から徒歩5分
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太閤通口からすぐの中央コンコースに立つ銀色の時計。新幹線改札口のすぐ目の前にあるので、遠方から来た人との待ち合わせにおすすめ。
亀山城の外堀にあたる池の近くには昭和7年(1932)に亀山保勝会が建立した石碑が立つ。これは元禄14年(1701)5月9日に石井源蔵・半蔵兄弟が父の仇、赤堀水之助を討ち取ったことを記念する碑。当時、元禄曽我とよばれ、翌年の赤穂浪士の討ち入りと並び称された。
関宿のお隣・亀山宿は、亀山城のお膝元で、城下町として繁栄した。関宿ほど往時を偲ばせる町並みは残されていないが、武家屋敷跡などで面影にふれることができる。
揖斐川河口、東海道の渡場跡。かつては熱田までの七里(約28km)の間を舟で結んでいた。現在も伊勢国の東の玄関口として「伊勢国一の鳥居」がたっている。
石川氏六万石の家老職にあった加藤家の長屋門と土蔵。建物は、平成2年(1990)の修復工事で幕末当時の姿に復元された。土蔵のなまこ壁や長屋門の白壁に城下町の面影が残っている。
聖武天皇の命を受け、行基が天平13年(741)に開いた国分寺、国分尼寺があった場所。国の史跡に指定されている。かつて南大門などが立っていたが、戦国の騒乱でほとんど焼失。現在は講堂の礎石の一部が残るのみ。隣接の鈴鹿市考古博物館で歴史的背景を理解し、ここを眺めると感慨ひとしおだ。
昔、街道の一里ずつに木を植え、道程の目印にしたのが一里塚。野村一里塚は県下12カ所の一里塚のなかで唯一現存し、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。国指定の史跡。
天正18年(1590)に岡本良勝が築いた城。かつては5つの曲輪があり、櫓や門が立ち並んでいた。現在は石垣の上に多門櫓を残すのみだが、美しい石垣に往時の姿が偲ばれる。多門櫓は約1年半に及ぶ「平成の大修理」を経て、江戸時代後半の姿に復元された。また三重県内で唯一残る江戸時代の城郭建造物として、三重県史跡及び三重県有形文化財建造物に指定されている。
桑名宿は東海道五十三次の42番目の宿場。桑名藩の城下町でもあり、江戸後期には本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒が立ち並ぶ大きな宿場だった。熱田神宮のある熱田宿とは伊勢湾の海路・七里の渡しで結ばれ、桑名の渡船場は伊勢神宮への入口としても賑わった。現在、七里の渡跡には伊勢神宮一の鳥居と常夜灯が立ち、近くには復元された航海の守護神を祭る蟠龍櫓や、旅館として営業している大塚本陣跡、脇本陣跡などが残る。七里の渡跡から桑名城跡(九華公園)の外堀沿いや街中を通る東海道を散策すれば、「歴史を語る公園」や道標、矢田立場などに往時の宿場町の面影が感じられる。
山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代諸戸清六の新居として、大正2年(1913)に建てられた邸宅を公開。鹿鳴館を設計したイギリス人、ジョサイア・コンドル設計の洋館と、それに連なる和館は国の重要文化財で、その前に広がる池泉回遊式庭園も国の名勝指定を受けている。
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